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文功章
ぶんこうしょう
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集21」 岩波書店
1990(平成2)年7月9日
初出「悲劇喜劇 創刊号」1928(昭和3)年10月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2007-11-24 / 2016-05-12
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 こんなことを問題にする必要もないが、二三の新聞雑誌から意見を求められ、一々それに答へる手数を省いたから、ここで一言感想を述べておく。
 勲章といふものは、子供か野蛮人でなければよろこばないものと思つてゐたら、なかなかさうでもなささうである。
 亜米利加の実業家も、仏蘭西の文学者も、勲章が大層好きである。その証拠に、毎年、仏蘭西あたりでは、叙勲の運動が行はれる。ロスタンはルナアルのために運動し、ルナアルは自分が貰ふと、今度は、ベルナアルのために運動した。服の襟に赤いリボンをつけてゐることは、幾分、細君の手前もあるのだが、世間に出て肩身が広いといふ訳である。巴里では近所の眼があるから、避暑に行つた先で、そつと赤リボンをくつつけた古着屋の話を、ベルナアルが書いてゐるくらゐである。
 さて、日本では、役人と軍人――それに少数の金持と貴族と政治家と教師などが勲章を貰ふ。勲章を持つてゐても、仏蘭西ほど幅が利かぬとみえて、平服に略綬をつけてゐる紳士はあんまり見かけない。殊に、かういふものは、欲しくつても、欲しいやうな顔をしたがらない日本人のことであるから、政府もうるさくなくていいだらう。
 藍綬褒章とか、緑綬褒章とかいふものは、勲章の部類にはひらないと聞いてゐるが、文功章とやらはどつちの部類か。同じ勲章でも、金鵄勲章は軍人に限り、戦時に殊勲を樹てたものに賜はるといふので、一番有難味があり、その上、年金までつくのだから、軍人でこれを欲しがらないものはない。
 金鵄勲章は武功章であるから、それに対する文功章は、芸術家にして、業績赫々たる者に賜はるといふことにすれば、世は競つて傑作逸品を出すことになり、一国の文運頓に熾んとなるわけで、これに越したことはないが、文功は、かの武功の如く、「誰のため」に樹てるといふ性質のものではないから、標準の定め方に困るだらう。まして、暗夜、道に迷ひ、方角を誤つて敵陣に飛び込み、敵の方であはてて逃げてくれたので、一堡塁をなんなく占領してゐたなんていふ殊勲は、芸術家には絶対に樹てられさうもない。
 そこで、先づ無難な詮衡方法は、長くその道に携つて、世評も相当に高く、貫禄も一と通りついてゐる老大家を物色することであるが、だがその場合、世評や貫禄は必ずしも芸術的業績の大小と、比例しないことを覚悟しなければならぬ。
 文功章をやるといつても、いらぬといふものが出て来るだらう。邪魔にならぬものなら貰つておいてもよささうなものだが、そこは文人気質の潔癖から、そんなものを貰つては一代の名折れのやうに考へ、又は、よろこんで貰つたやうに思はれるのがいやさに、怒らなくてもいいところを怒るものがあるだらう。さういふ場合、当局がどうするか、一寸面白い見物である。
 尤も、仏蘭西のやうに、芸術家として一家を成したものには、悉く「レジヨン・ドヌウル」をやることにし、だんだん…

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