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田巻安里のコーヒー
たまきあんりのコーヒー
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集21」 岩波書店
1990(平成2)年7月9日
初出「東京朝日新聞」1930(昭和5)年7月15、16、17日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2007-12-13 / 2016-05-12
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

       一

 田巻安里は、甚だコーヒーをたしなんでゐた。彼は、朝昼晩、家にあつても外にあつても、機会を選ばずコーヒーを飲んだ。友人と喫茶店にはいり、「君はなに?」と問はれゝば、「無論コーヒーさ」と空うそぶき、コーヒーさへ飲んでゐれば、飯なんか食はなくてもいいと放言した。
 だれも、彼がコーヒーをたしなむことに偽りがあるとは思はなかつた。たゞ、敏感な友人は、彼がコーヒーをたしなむことは、寧ろ「コーヒーをたしなむこと」をたしなむに近いと思つてゐた。
 そこで問題になるのは、コーヒーそのものがある人のし好に適ふ理由は明瞭であるが、「コーヒーをたしなむこと」が、何故にし好愛着の目的物となり得るかである。
 殊に、田巻安里の場合、不思議に思はれる現象は、コーヒーをたしなむかの如く見えて、その実、コーヒーそのものに対する感覚を多分に失つてゐるらしいことである。たゞそればかりではない。まれには、コーヒーを飲むことが、一種の苦痛になつてゐるとしか思はれないことである
 少しうがつた観方をすれば、彼は、コーヒーを味はふ時よりも、「おれはコーヒーが好きだ」と思ひ、かつ、人からさう思はれることの方が楽しいのである。それゆゑに彼は、コーヒーを飲む時そのコーヒーの味よりも、それを味はふ自分自身が興味の対象であり、かくまでコーヒーが好きであるといふ自分を、半ば賛美し、半ば憐みつつ、かの黒かつ色の液体を唇に近づけるのである。
 彼は、さういふ時、きまつて、ある幻影を頭に描く。「コーヒーばかり飲んでゐた天才」オノレ・ド・バルザツクの幻影である。
 彼は、自分のあらゆる姿態あうちで、机に片ひぢをのせ、眼を青空の一角に注ぎ、その眼の高さに薄手のコーヒー茶わんを差あげてゐる瞬間がもつとも美しく、もつとも似合はしいと思つてゐた。
 一方、彼のコーヒー惑溺は、いさゝか「通」の領域に踏み込んでゐた。彼は東京では、どこ/\のコーヒーが一寸飲めるといひ、自ら書斎の一隅にコーヒーひきとフイルトレの道具を用意し、「これはこの間フランスから取寄せたコルスレだ」などと、不眠症の客をへき易させる奇癖をもつてゐた。ある友人が、試みに、「君は、小石川のどこそこに、近頃出来たカフエー・ド・レトワルつていふのを知つてるか。コーヒーはとても自慢ださうだ」といへば、彼はすかさず、「うん、あれや、大したもんぢやない。第一あんな熱いのを、そのままだすつていふ法はない」とこきおろした。ところがそんなカフエーは、その友人も聞いたことがなかつたのである。
 しかしながら、彼田巻安里は、決してコーヒーばかりを好んではゐなかつた。彼はまた、文学を愛してゐた。彼は、泰西の近代文学史に通じ、現代日本の文壇を軽べつし、しかも軽べつしつゝ、その文壇の情勢に明るく、月々の雑誌に発表される数多くの作品を読み、二三、大家の門をたゝき、若干の新進作…

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