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鯉魚
りぎょ
作品ID446
著者岡本 かの子
文字遣い新字新仮名
底本 「ちくま日本文学全集 岡本かの子」 筑摩書房
1992(平成4)年2月20日
入力者ゆいみ
校正者岩田とも子
公開 / 更新1999-09-07 / 2014-09-17
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

 京都の嵐山の前を流れる大堰川には、雅びた渡月橋が架っています。その橋の東詰に臨川寺という寺があります。夢窓国師が中興の開山で、開山堂に国師の像が安置してあります。寺の前がすぐ大堰川の流で「梵鐘は清波を潜って翠巒に響く」という涼しい詩偈そのままの境域であります。
 開山より何代目か経って、室町時代も末、この寺に三要という僧が住持をしていました。
 禅寺では食事のとき、施餓鬼のため飯を一箸ずつ鉢からわきへ取除けておく。これを生飯と言うが、臨川寺ではこの生飯を川へ捨てる習慣になっていました。すると渡月橋上下六町の間、殺生禁断になっている川中では、平常から集り棲んでいた魚類が寄って来て生飯を喰べます。毎日の事ですから、魚の方ですっかり承知していて、寺の食事の鐘が鳴るともう前の淵へ集って来て待っています。
 淵の魚へ食後の生飯を持って行って投げ与える役は、沙弥の昭青年でありました。年は十八。元は公卿の出ですが、子供の時から三要の手元に引取られて、坐禅学問を勉強しながら、高貴の客があるときには接待の給仕に出ます。髪はまだ下さないで、金襴、染絹の衣、腺病質のたちと見え、透き通るばかり青白い肌に、切り込み過ぎたかのようなはっきりした眼鼻立ち、男性的な鋭い美しさを持つ青年でした。寺へ引き取られたこどもの時分から、魚に餌をやりつけているので、魚の主なものは見覚えてしまい、友だちか兄弟のように馴染んでしまっていました。
 五月のある日、しぶしぶ雨が降る昼でした。淵の魚はさぞ待っているだろうと、昭青年は網代笠を傘の代りにして淵へ生飯を持って行きました。川はすっかり霧で隠れて、やや晴れた方の空に亀山、小倉山の松の梢だけが墨絵になってにじみ出ていました。昭青年がいま水際に降りる岩石の階段に片足を下ろしかけたとき、その石の蔭になっている岸と水際との間の渚に、薄紅の色の一かたまりが横たわっているのが眼に入りました。瞳を凝らしてよく見ると、それが女の冠るかつぎであることが判り、それを冠ったまま、娘が一人倒れているのが判りました。昭青年は急いで川砂利の上へ飛び下り、娘の傍へ駈け寄って、抱き起しながら
「どうしたのですか」
 と訊くと、娘は力無い声で、昨日から食事をしないので饑えに疲れ、水でも一口飲もうと、やっと渚まで来たが、いつの間にか気が遠くなってしまったというのでした。
「それじゃ、幸い、ここに鯉にやる生飯があります。これでもおあがりなさい」
 鉢を差し出してやると、娘は嬉しそうに食べ、水を掬って来て飲ませると、娘はやっと元気を恢復した様子、そこで娘の身元ばなしが始まりました。
 応仁の乱は細川勝元、山名宗全の両頭目の死によって一時、中央では小康を得たようなものの、戦禍はかえって四方へ撒き散された形となって、今度は地方地方で小競合いが始まりました。そこで細川方の領将も、山…

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