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「女らしさ」について
「おんならしさ」について
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集24」 岩波書店
1991(平成3)年3月8日
初出「婦人公論 第二十四年二月号」1939(昭和14)年2月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-12-23 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私はかういふ問題について特に興味をもつてゐるわけではないが、今時かういふ問題が婦人公論のやうな雑誌でとりあげられるといふ事実に多少時代的な意義を見出すのである。
 大体「女」といふ言葉は、古来、複雑微妙な語感をもち、時と場合で、その響き方がいろいろに変るのであるが、この「女らしさ」にしても、なにかさういふ捕捉しがたい模糊とした感覚のなかにその正体をつきとめなければならぬ厄介さがある。
 単純にこれを精神的なものと官能的なものとに分けてみてもはじまらぬ。淑かさと云へば精神的な「女らしさ」のすべてでなく、「艶めかしさ」と云つても、それが直ちに官能的な「女らしさ」だとは断言できぬ。
 また一切の女性的特質を「母性型」と「娼婦型」とに当てはめてみても「女らしさ」の本質を採り出す手がかりは与へられない。
 要するに、すべての女は、何等かの意味で女らしいといふよりほか、私には理窟のつけやうがない。たゞ、普通の標準に従へば、常に、時代と民族、階級或は職業などに通ずる女の典型なるものが考へられる。ある特定の生活と文化とが、特定の理想的「女らしさ」を作りだすのである。
 時によると、男の眼が「女らしさ」を発見し、それに価値を与へることもあるが、女も亦、同性のうちの「女らしさ」を鋭く感じ取るものである。従つて、好悪の別はあつても、それが「女らしい」といふ一点で、それを見るものの眼に、さう著しい違ひはないと思はれる。
 そこで問題は「女らしい」といふことが特に尊重されるべきかどうかといふことである。「女も人間である」といふたてまへから、また、女であるがために差別待遇を受ける不満から、「女は女らしく」あるばかりが能ではないといふ結論が生れる場合がないではない。例へば「女だてらに」男のするやうなことを好んでするとする。或は、さういふ習慣を身につけてしまつて、一見「女らしく」なくなつたものがあるとする。こだわるやうだが、私は、さういふ女をも「女らしくない」とは見ないのである。やつぱり「女らしい」ところがどこかに現はれてゐると思ふ。それは、結局のところ「女らしさ」といふものは、女である以上誰でも備へてゐるのが当然で、努力をしてそれを示す必要もなく、また、意識的にそれを隠してもなんにもならない性質のものである。
「女形」を手本にしたやうな「女らしさ」の誇張は、腕力を生命とする職業人の「男らしさ」の誇張とともに、現代に於ける一対の喜劇であることは云ふまでもないが、「女らしさ」を酔興にも脱ぎすてようとする女があるとすれば、それは、その目的を完全に達し得ないばかりでなく、人間としての一切の魅力を喪失する悲劇を演じるわけである。
 女は生れながら一種の僻みをもつてゐるといふ人がある。ほんとか知らと思ふくらゐだが、よく女のひとが、うつかり、または戯談めかして自分が女に生れたことを悔むやうな口吻をも…

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