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支那人研究
しなじんけんきゅう
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集24」 岩波書店
1991(平成3)年3月8日
初出「大陸 第二巻第八号」1939(昭和14)年8月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-02-08 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私は近頃支那人について語られてゐる文章を読む機会が多いのであるが、やはり永く支那にゐて親しく彼地の人々と接した経験が土台になつてゐるやうな意見には、なかなか傾聴すべきものが多い。
 この種の研究や紹介が時に目につくといふのは、私自身、これまであまり支那及び支那人について識ることが少なかつたところから来てゐるが、さういふ気持を多くの日本人が持つてゐるところへ、ヂヤアナリズムが抜目なく一般の要求に応へる記事を絶やさぬやう心掛けてゐるためでもあらう。
 支那人に対する正確な認識をもつことは、まことに日本人にとつて刻下の急務に違ひない。支那人が日本人の特質をあまりよく識らぬと同様に、日本人が支那人の心理、風習を深く究めてゐないところから、思はざる様々な誤解が生じ、誤解が積り積つて遂に取返しのつかぬ紛争を捲き超したのだといふ風な考へ方は、まさに時局の一解釈に相違ないのである。
 殊に今後の大陸経営、乃至は、両国の親善提携の条件として、この問題が両国識者の間で真面目に取りあげられることは甚だ好ましい傾向だと私はひそかによろこんでゐる次第であるが、さて、前に述べたやうないろいろな経験者の支那人観なるものを読んでゐるうちに、私は、一つの大きな疑ひにぶつかつた。
 それは外でもない。われわれ日本人はいつたい対手たる支那人を識る以前に、自分自身をもつとよく識つておく必要があるのではないかといふことである。
 日本人は支那人のかういふところを知らぬから、かういふ不都合な結果が生じたといふ風に教へられる。なるほど一応は尤もだと思ふ。ところが、さういふ不都合な結果が生じたのは、実際は、支那人のある特別な流儀を知らぬからといふよりも、寧ろ、日本人がなんでも自分本位に物を考へ、一事を以て全般を律する癖があるところから来てゐるのではないかといふ気が私はするのである。
 その証拠に、支那人は概してかういふ風だと云はれてみても、さういふことを単に知らないために大きな間違ひが起りさうなことはひとつもないのである。
 もちろん、すべての対人関係に於て、双方が相手の特徴を呑み込み合ふといふことは必要に違ひないけれども、それを呑み込んでゐるだけで万事うまく行くといふ訳合のものではない。識つてゐるにも拘はらず、どんな悶着でも起し得るのが人間同志の浅間しい一面である。日支両国民の感情に若しも融和を欠くといふ点があるとすれば、私は、お互にもつと根本的な人間心理の機微について自覚反省すべき領域がありはせぬかと思ふ。
 いつたい、どんなつき合ひでも、初めから相手を識つてかゝるなどいふことは、実際に云ふべくして行はれないことにきまつてゐる。日本人と支那人との間に、将来どんな交渉が続けられるにせよ、相手がこつちの流儀を知らぬからといふので、それをかれこれ問題にする筈はなく、問題はたゞ、相手がどんな人物であるか、人…

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