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宗教と科学についての所感
しゅうきょうとかがくについてのしょかん
作品ID44660
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集25」 岩波書店
1991(平成3)年8月8日
初出「日本評論 第十六巻第一号」1941(昭和16)年1月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-03-11 / 2014-09-21
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     宗教について

 宗派をどうするとか、宗教団体を再編成するとかいふことについては、実際の事情をまだ知らないから現在なんにも考へてはをりませんが、宗教心――所謂宗教的感情といふものがこの頃の日本人には非常に少ないやうです。
 さういふことについて、今の宗教家などはどういふ風な考へをもつてゐるのでせうか。
 或る宗教を信仰させる、つまり伝道するといふことは、さういふ宗教的感情の陶冶といふことが目的になつてゐるのでせうか。
 私は宗教的感情を植ゑつけるといふことは、所謂宗教教育の外に、一般教育にも、何か新しい方法がありはしないかと思ふのです。事実、皇室或は国体といふやうなことに触れて、さういふ教育が行はれつゝあると思ふ。しかし、私の問題にしてゐる宗教的感情といふのは、もつと素朴な、原始的なものを指すので、思想的問題から一応引き離して考へることが大事と思ふのです。
 支那人は確かに宗教心が稀薄だといふことがわかる。これは現実的だといふことゝ何か関係があるのでせう。日本人は一体他の国の人間に比べて宗教心と云ふか、宗教的感情といふものはどうなのでせうか。
 日本に宗教改革といふものがなかつたといふのは、我が国では比較的早くから政治の上で政教の分離といふ形が行はれてゐたからでせう。だから宗教が対社会的に害毒を流すやうなことが割に少なかつた。そのため改革の気運といふものがいつもズルズルに延びてゐるといふ点もあるかも知れません。さういふ意味での新しい宗教理論といふやうなものは日本ではどういふ風にあらはれて来るものでせうか。
 キリスト教は今日相当強く、一種の文化的使命を植民地あたりでも果してゐると思ひますが、日本の仏教のお坊さんとか、神道の神主とかいふ人たちは、さういふことを今までちつともやつてゐない。これは信仰のあるなしといふことよりも、人間的に宗教的感情といふものをもつてゐるかゐないかの違ひではないかと思はれます。キリスト教の宣教師の仕事を見たり、本で読んだりしてみると、何か日本の宗教家がもつてゐないものをもつてゐる。兎に角、宗教家として何か信仰の質が違ふ。殊に今度のやうな事変が起ると痛切に感じるのですが、今後の宗教教育にしても――或は一般教育にそれは依るべきかも知れませんが――この点はよほど考ふべきことで、どうも今の日本の宗教的感情には、われわれが生きて行くこの人生の生活のなかで、何かしら敬虔な気持が非常に足りなくはないかと考へられます。例へば学問に対する場合でも、或ひは芸術に対する場合でも、一応それを尊敬するし、それに情熱を傾けもするのですが、それに対する敬虔な気持といふか、自分がそのなかで安心立命を得るといふやうな気持が現在の日本人には欠けてゐるやうに思はれるのです。この気持をつくるのは、果して宗教家の宗教の力に依るのか、或ひは教育事業の中に盛らるべき、も…

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