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「矜り」と「嗜み」
「ほこり」と「たしなみ」
作品ID44697
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集26」 岩波書店
1991(平成3)年10月8日
初出「朝日新聞」1942(昭和17)年12月20日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-04-19 / 2016-04-14
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 問題はいはゆる国民錬成の効果についてといふのであるが、私はこの錬成といふ意味を、特定の団体なり機関なりが、その企画として一定数の人員を集め、ある方式によつて一定期間錬成を施すといふ、そのことだけに限らず、時局そのものの必然的な圧力が、むしろ一種の指導的、推進的な作用となつて、国民全体の自覚と発奮を促し、そこに期せずして「錬成」の実を挙げてゐるといふ、そのことをも含めて考へてみたいのである。
 錬成には、もとより精神的な面と、肉体的な面とがあり、この両者は、日本的な「行」といふやうな型で統一されねばならぬことは、すでに早くから気づかれてゐるが、一般に、その趣旨が、どの程度まで徹底してゐるか多少疑問である。
 つまり、指導者と錬成を受けるものとの間に、果して共通の希望と確信とができてゐるかどうかといふことである。私の知つてゐる範囲では、どこでも、それが多少有耶無耶に終り、たゞ、なにか効果がありさうだといふぐらゐのところで、双方満足してゐるやうなのが多い。
 それは錬成そのものの「方法」にあまり気をとられすぎて、なんのために、如何なる理想を目指して、それが行はれるのかといふ根本の問題を考へ、それを徹底させてゐるところがわりにないからである。
 そこへ行くと、青少年、殊に学生生徒の近頃の変り方は相当に眼に立つて来た。時に中等学校の生徒は、例外もあるが、なかなか、しつかりして来たやうである。しかも、形の上のことだけれども、なにか彼等のうちに新しい光明が湧いて来たのではないかと思はせるやうな風貌に、ちよいちよい街で出会ふ。頼もしい限りである。
 ところで、私は「日本人の錬成」といふことについて、国民一般が、たゞ単に時局の要請に応へて、といふやうな、必ずしも受動的とはいへまいが、多少歯を食ひしばるやうな「自分の鍛へ方」に満足せず、やはり、指導者たちもその気になつて、第一に、日本人たるの「矜り」をいよいよ高くもち、それにふさはしい「嗜み」を深く身につけ、日本人相互の間に親和と尊信の念を起させると同時に、それぞれの立場において、決して「不覚」をとらない、品位ある国民の一員となること、今や「錬成」の第一義として掲げなければならない時期だと思ふ。
 これが国民一般の間によく理解され、十分の共鳴を呼び得たならば、家庭生活においても、また社会生活においても、一段の飛躍が期待せられるのではないかと思ふ。
 それがためには、指導者の側において、是非とも「たしなみ」といふ言葉のもつ日本的な「美しさ」を活かした指導法を研究してほしい。この含蓄ある、鋭い、しかも極めて綜合性に富んだ言葉の内容は、いふまでもなく「苦しみ」と「好み」との渾一融合であつて「道にいそしむことによつて覚悟をつくる」日本人独得の直観力を示したものである。



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