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青年の夢と憂欝
せいねんのゆめとゆううつ
副題――力としての文化 第五話
――ちからとしてのぶんか だいごわ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集26」 岩波書店
1991(平成3)年10月8日
初出「力としての文化――若き人々へ」河出書房、1943(昭和18)年6月20日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-06-14 / 2016-04-14
長さの目安約 38 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 青春は夢多き時代です。
 青年には夢がなければなりません。
 青年の夢は美しく、そして遥かであります。
「夢」とはいつたいなんでせうか。
 こゝではもちろん、睡眠中の夢を指すのではありません。
 頭がはつきりしてゐる時に、その頭の中を去来する幻の如き想念を指すのですが、しかもその想ひは、常に希望となつて輝き、情熱となつて燃えあがるていのものであります。
「夢」は「現実」に対して、「かくありたいもの」の最上のすがたなのですが、それは未来の現実となり得るもの、少くとも、その可能性を含んだものであつて、まさに、現実とつながる生命をもつたものです。
 夢は空漠たるものです。そして、甚だ気紛れであります。或る時は、鮮やかな輪郭をもつて眼前に髣髴たる世界をひろげるかと思ふと、或る時は、模糊たる霧の中に焦点のない波紋を描いて心をときめかせるにすぎないこともあります。
「空想」とか、「夢想」とか云ふと、どうも私の云ひたいことと少し違ふやうな気がします。強ひて区別をつける必要もないやうですけれども、たゞ「夢」と云つた方が、なにか力強い、おほらかなものを感じさせます。

 青年の純真と血気とは、青年の「夢」を飽くまでも、美しく大胆なものにします。夢の翼はいかに拡がつても拡がりすぎるといふことはありません。
 青年の「夢」は、青年の描く「理想」の定かならぬ映像です。「理想」の骨組みだけは一通り組立てられるのですが、さて、それを血脈の通つた肉体として完全に構成する能力がないのです。それはつまり、「現実」を識る程度が極めて浅いのみならず、「現実」がどんな力をもつてゐるかといふことさへ、ほとんどわからないと云つていゝからで、そこにまた、青年の夢らしい夢があるのであります。

「夢」はまた単なる「野心」を指すこともありますが、もともと「野心」とはきはめて現実的な個人の欲望で、若しどこかに夢らしいところがあるとすれば、それは、その欲望を達するための手段においてであります。多くは大それた、身勝手な欲望であるにも拘らず、青年のそれは、「夢」の性質を帯びて屡々純化され、或は「抱負」となり、「志」とさへなります。

「志」といふ言葉はもはや「野心」とか「抱負」といふ言葉とはつきり区別して用ひなければなりません。なぜなら、それは飽くまでも、自分本位の「夢」ではなく、「現実」の条件を基礎としながら、信念による自己の力の限りない発展を予想し、一切の障碍を越えたところに、絶対の目標をおくものだからです。
「志」はまたかの「志望」などといふ言葉の概念ともおよそかけ離れたもので、ずつと厳粛で悲壮な響きをもち、早く云へば、天下国家のため身命を賭して奮ひ立つ至誠と情熱であります。「志を抱く」とは、今日まで普通に理解されてゐたやうに、単にある目的を目指して勉強するぐらゐのことではなくて、国を思ふ止むに止まれ…

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