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『日本人とはなにか』まへがき
『にほんじんとはなにか』まえがき
作品ID44742
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集27」 岩波書店
1991(平成3)年12月9日
初出「玄想 第二巻第六号」1948(昭和23)年6月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-06-28 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 雑誌「玄想」の創刊号から十回に亙つて毎号「宛名のない手紙」といふ題で発表した文章をこゝに一冊の本として出すことにした。
 書物の題としては「宛名のない手紙」ではちよつと内容が想像しにくくはないかといふ出版者の意見に従ひ、思ひきつて、「日本人とはなにか?」と露骨な標題をつけてみた。
 しかし、これで内容とぴつたり合ふかと云へば必ずしもさうでないのが厄介である。もし仮に標題が内容を正確に示さなければならぬとすれば、こんな風にでもいふよりしかたがない――「日本人にはかういふところがある」と。

 さて、私のこれらの文章が雑誌に発表された当時、いはゆる反響といふべきものが相当にあり、私自身も直接間接、いろいろな読者の声を聞くことができた。それは、私にとつて、誡めともなり、励ましともなり、要するに、まつたく無駄なことをしたのではなかつたといふことをはつきり教へられた。
 たゞ、今もなほいくぶん残念に思ふことは、これらの文章はあまり不用意に、しかもあわたゞしく書かれたからでもあるが、むしろそれよりは私の貧しい素質に原因する説得力の不足から、本来の意のあるところを十分に尽し得ず、ある人たちには、私がなんのために、誰をめあてに、これを書いたのかさへ、どうやらわかつてもらへなかつたらしいことである。
 そこで、なによりも読者諸君に明らかに断つておきたいことは、この文章は、「宛名のない手紙」として、私が、眼に見えない、これと名指すことのできない、一人乃至いくたりかの人物、架空とは云へぬまでも実体を具へてゐない漠とした対手に向つて、云はば鬱憤をうつたへるやうに投げかけた言葉である。モンテーニュを気取るつもりはないが、これこそ、高い精神にとつては平凡極まりなき繰り言であり、低い頭脳のためには、やゝチンプンカンプンに類するたぐひのものである。私もそれだけは承知のうへである。しよせん、これらの文章は、まことに単純なことがらを、すこし開き直つてむつかしく、おほげさな言ひ方をしてゐるやうにみえるかもしれない。敢へて云ふならば、かゝる平凡なことを今日なんびとかによつて強く叫ばれなければならぬといふ私の気持をそこに汲んでほしいのである。いはゆる「当り前のこと」が当り前で通らぬ現在のわれわれの社会の特異性について、最も高い精神の領域を含め、多くの識者の注意と同感と、できれば、責任ある発言とを求めようといふ私の念願がそこにあつた。
 繰りかへして言ふが、読ませる必要のあるものにはわからず、わかるものには珍らしくもない談義だ、といふ評ほど、尤ものやうでゐて、実はつれなく、私をがつかりさせる評はない。第一に読んでほしいのは、読んでわからぬ人々ではなく、わかりすぎるほどわかる人々にであり、さういふ人々にこそ、私は珍らしいことを聞かせるつもりはなく、たゞ、こんなに当然で誰にも関係のある問題が、今日までそ…

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