えあ草紙・青空図書館 - 作品カード

作品カード検索("探偵小説"、"魯山人 雑煮"…)

楽天Kobo表紙検索

S夫人への手紙[別稿]
Sふじんへのてがみ[べっこう]
作品ID44751
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集27」 岩波書店
1991(平成3)年12月9日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-07-15 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

広告

えあ草紙で読む
▲ PC/スマホ/タブレット対応の無料縦書きリーダーです ▲

find 朗読を検索

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

広告

本文より



 書斎を転々と方々にうつしてゐる私を、あなたはおわらひになり、また放浪癖がはじまつたとおつしやるのですが、たしかに、さういふところもないではないでせう。しかし、ただそれだけのことと思つてくださつては困ります。すこし開き直つていへば、今の時代は、ひとところにゐて物をみることは不可能だといふことです。場所をかへたらどれだけ物がはつきりみえるか、といふことは、私が、静岡の町はづれに、上州の山村のさびれた避暑地に、それぞれいく月かを過して、たまに東京へ舞ひ戻つて来るといふただそれだけの生活を通して、なにか、今まで自分の視界から逃れてゐた時代の性格のいはば基底とでもいふべきものをつかみ得たやうな気がするのです。
 時代の真の性格といふものは、決して一つの書斎の窓からのぞき得るものではなく、現在の新聞の社会記事のなかに浮び出てゐるものでもありません。そこになにかが映つてゐるとすれば、それはただ片鱗にすぎません。しかも、全体を問題にするならば、それらの片鱗は、しよせん見ても見なくてもよいものです。
 こんなことはあなたにわざわざ申す必要のないことですが、まつたく今日ぐらゐ角度をかへて物を見なければならぬ時はなく、また、自分の精神の状態が判断を誤まらせ易い時期はないと思ひます。異常なことがすぐに普通のことになり、平凡なことがなにか重大な意味をもつやうにとられたりするのは、まことにそのためです。
 例へば、あなたにとつてまことに奇怪千万で、しかも深刻な意味をもつものと思はれたあの集団見合ひなる現象は、いつたいなんでせう? あなたもおつしやるやうに、たしかにあれは「悲しいファース」に違ひありません。しかし、ああいふ現象は、それ自体として当代の青年男女の心理を端的に示したものでもなく、また、いはゆるつねに戦後の社会をおそふ結婚難の様相ともそれほど関係はなく、まして、日本の封建的因襲に逆らふ新しい風俗の発芽とみるわけにはいきません。
 いはば、それらのすべてをいくらかは含んでゐるにはゐるでせうが、また同時に、それらの原因のいづれをもまともなかたちで内在させてゐないのです。つまり、口実としてそれが利用されてゐるにすぎない点を注意すべきです。いかなる時代にも人心の隙をねらつてゐる営利主義は、あらゆるものを看板として役立てます。
 あなたは前欧洲大戦直後のフランスで、やはり若い女性の結婚難が叫ばれたことを、おそらくお聞きになつてゐると思ひますが、その頃、私がもつとも関心をそそられたことは、政府は男女いづれの性なるを問はず、ある年齢以上の未婚者に対して、可なり高率の独身税を課したことです。
 いかがですか? 深刻とはかくのごときことを言ふのではありますまいか。

 それはさうと、最近、あなたにも特別なショックを与へたらうと想像される一つの事実について、ともかくも私の考へを申しあげてお…

えあ草紙で読む
find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2024 Sato Kazuhiko