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新劇の黎明
しんげきのれいめい
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集27」 岩波書店
1991(平成3)年12月9日
初出「文芸往来 第三巻第七号」1949(昭和24)年7月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-07-21 / 2014-09-21
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 劇文学の夜は永く続いた。黙阿弥を最後として、わが国には、ほんたうに劇作家といへる劇作家が現れてゐない。ほんたうの劇作家とは、その名前で民衆を劇場に引き寄せ、独特の思想と技術によつて舞台の生命を創造しながら、民衆と共に愉しむことのできる才能をいふのである。
 もちろん、ある意味でいくらかの手腕と抱負とを示した岡本綺堂のやうな人はゐるけれども、現代の演劇にその足跡を残すまでの業績を示したとは言ひ難い。森鴎外は、まつたく別の素質によつてわが国の劇文学に近代の洗礼を与へた。しかし、あくまでも、その劇作品は余技の域を出でず、たゞ、いくつかの外国戯曲の紹介が同時代の若き劇文壇に新鮮な刺戟を与へたのみである。
 この刺戟のなかゝら二つの貴重な結果が生れた。一つは、小山内薫の自由劇場運動であり、もう一つは、純乎たる劇詩人久保田万太郎の登場である。
 この時代はたしかに、演劇史上、特筆すべき新機運の擡頭期であるがすべての文化的現象がさうであつた如く、舞台の近代化も遂に精神と技術との遊離に終り、単に旗じるしとしての「新劇」の名を今日に伝へたといふだけで、真に文学と演劇の領域に跨つて確実な地位を占め得る劇的作品がほとんどまつたく生産されてゐないのである。
 十数年後に至つて、小山内薫は土方与志と共に築地小劇場を創設し、いはゆる「新劇」の黎明が再び訪れたかにみえたことがある。この運動もまた不幸にして中途で挫折し、いくたりかの有為な俳優に舞台への情熱を注ぎ込む結果だけを残した。
 劇文学の夜はまだ続いた。



 しかし、これらの有為な俳優は、それぞれ好む道を歩いた。離合集散の過程はあるけれども、大きく別ければ、新協劇団系と築地座系とである。これに、やゝ特殊なテアトル・コメデイ系を加へてもよい。そして、そこに演技の成長が徐々にみられた。
 友田恭介、田村秋子、杉村春子、中村伸郎等を築地座系とすれば、滝沢修、千田是也、小沢栄太郎、東山千栄子、岸輝子等を新協劇団系とすべきであらう。
 現在の俳優座、民衆芸術劇場、新協劇団は、後者の流れを汲み、文学座は前者の糸を引くものである。森雅之、三津田健、村瀬幸子等の名を更にこれに加へれば、当代の新劇俳優陣は、未だ嘗て見ない盛観である。
 そこで、この期間に於ける劇文学の消長をみなければならぬ。
 たしかに、その間に、戯曲生産の飛躍は認められる。例へば、阪中正夫が「馬」一作によつて近代ファルスの形式をみごとに征服し、久板栄二郎が「北東の風」を提げて堅実な努力を社会劇の構成に示し、川口一郎が「二十六番館」に於て堂々たるレアリズムのスタイルを完成し、久保栄が「火山灰地」でいはゆる思想性をもつ野心作と取り組んだ。いづれも画期的な意味をもつ。更に、真船豊の「いたち」、田中千禾夫の「おふくろ」、小山祐士の「瀬戸内海の子供ら」、伊沢紀の「北京の幽霊」等…

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