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対話
たいわ
作品ID44810
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集28」 岩波書店
1992(平成4)年6月17日
初出「悲劇喜劇 第九号」1949(昭和24)年10月1日、「悲劇喜劇 第四巻第一号」1950(昭和25)年1月1日、「悲劇喜劇 第四巻第二号」1950(昭和25)年2月1日、「悲劇喜劇 第四巻第三号」1950(昭和25)年3月1日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2010-10-31 / 2014-09-21
長さの目安約 96 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

これは雑誌「悲劇喜劇」が、現在の演劇に対する種々の質問を読者から蒐め、
同誌編集部がそれを要約して提出した問題に対して感想を述べたものである。


1 演劇をつくる人と制度

編集部 今度「ピカデリー劇場」がアメリカ流のプロダクション制度による新しい実験劇場として発足したので、演劇をつくる人と制度といふやうな問題を中心にして御話を伺ひたいと思ひます。
 実は昨日、正宗白鳥さんに久しぶりに遭ひましてね。いろんな話が出たんですけれども、正宗さんは東京に出ると芝居をなかなかよく見られるんですね。昨日も僕の顔を見て、「いつたい今の芝居はこのままでいいのか――?」(笑声)といふ話から非常に激しい調子で「なんとかこれはしなくちやいけないんぢやないか」と云はれる。正宗さんがさういふ調子で話をされることも非常に愉快だつたし、またさういふ機会に正宗さんがどういふことを考へてゐられるか僕は聴かうと思つて、それからいろいろ話が発展したんですけれども、「いつたいこのままでいいのか――?」と正宗さんが云はれるそのいちばん大きい原因は、東京へ出てきて芝居をときどき見て失望されることが多いんだらうと思ふんですね。正宗さんは新劇はもちろんだし、歌舞伎も文楽も、なかなかまめにみられるやうですが、とにかくさういふ話から、歌舞伎は今の若手の俳優がいつたい前の時代をつぐだけの役者にこれからなれるかどうか――? どうも新しい道を開拓しようといふ意欲がないし熱意も見られないで旧態依然とした状態ぢやないだらうか、あれではもう駄目ぢやないか、といふ意見。それから新劇の方も作家がなかなか出ないし、劇団もいつたいどこに向つてゆかうとしてゐるのかどうもよくわからない。新劇の方がさういふ状態だといふことは、正宗さんの意見ではやつぱり小山内薫のやうな人がゐないからぢやないか。マア小山内薫が左団次と提携して自由劇場をはじめ、更に築地小劇場を創立し、ともかく日本の新劇を或る方向に引つ張つてゆかうとしたあの熱意と理想を正宗さんはなかなか高く評価して、ああいふ人物が今ゐないことが新劇にとつての不幸ぢやないかといふ意見です。
 僕はさういふ話を聴いてゐながら或る点には同感し、或る点はまた僕流の考へ方があると思ひましたけれども、歌舞伎についていへば、なるほど曾ての左団次とか勘弥とか猿之助が自分で新しい道を開拓しようと努力をした、あの機運が今まつたく見えなくなつたことは現在の歌舞伎の将来性を疑はせる原因だと思ひます。新劇の方は、なるほど小山内薫はゐないかしれないけれども、マア今の時代の小山内薫は、例へば千田君にしろ、村山君にしろ、それから久保田氏、岩田君をはじめ不肖ながら僕にしろいくぶんさういふ役割をしてゐるわけだ。けれども、ただ、僕自身の場合、非常に反省させられることは、やつぱり芝居に全力を打込んでないといふこと、この点は僕な…

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