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コポオの弟子たち
コポオのでしたち
作品ID44822
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集28」 岩波書店
1992(平成4)年6月17日
初出「芸術新潮 第一巻第十一号」1950(昭和25)年11月1日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2011-04-26 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今の日本ではさういふことはあるまいけれど、私が三十年前にパリへ出掛けた頃は、仏蘭西に於ける新しい演劇界の消息といふものは、かいもく見当がつかぬ有様であつた。
 パリにつくと、めくらめつぱふに芝居をみて歩き、新聞や雑誌をあさつて目星しい作家や劇団を名をひろひ、新刊旧刊の書物をむさぼり読んで、それでもひととほり、その時代の演劇地図を頭にいれるまで、たつぷり一年はかかつたと思ふ。
 ヴィユウ・コロンビエ座の存在をやつとつきとめたとき、私の胸はをどつたけれども、変り目ごとの公演を欠かさず観るのがせいぜいで、その内部に接触をもとめることなど、無名にして貧寒な一外国青年の及びもつかぬことだと、半ばあきらめてゐたが、遂に意を決して、かねがねたまにその講義をのぞいてみたことのあるソルボンヌ大学のルボン教授に、私の希望を伝へたところ、至極手軽にコポオへの紹介状を書いてくれた。
 私は、勇んでといひたいが、実は、臆する自分を鞭ちながら、はじめてヴィユウ・コロンビエの裏門をくぐり、大道具製作場の乱雑な通路をぬけて、ここと教へられた舞台横手の小部屋をノックしたのである。
 まだ稽古のはじまつてゐない閑散な一つ時であつた。小部屋は粗末なテーブルと椅子とが舞台に背を向けておいてあるだけで、もうあらかた場所をふさいでしまふやうな窮屈な部屋であつた。舞台に面して斜に格子窓が開いてゐる舞台監督専用の見張場である。コポオがひとり、その椅子にかけて、たしかタイプで打つた台本を読んでゐた。
 一九二一年から二二年にかけてのシーズンは、十月にミュッセの「気まぐれ」、マルタン・デュ・ガアルの「ルリュ爺さんの遺言」、ボオマルシェの「フィガロの結婚」から始まり、十一月には、「カラマゾフの兄弟」、十二月にはジュウル・ロマンの「クロムディル・ル・ヴィエイユ村」、翌年一月はモリエール三百年祭、二月はアレクシス・トルストイの「愛、金色の書」、ゴーゴリの「縁談」、三月はラシイヌの「ベレニス」、中世のファルス「パトラン先生」、四月はシェイクスピヤ「王者の夜」、五月、バンジャマンの「偶然の楽しみ」、六月、イプセンの「ロスメルスホルム」とジイドの「サユル」、かういふ華々しく、豊かな上演目録であつた。
 前後の関係から考へると、その時、コポオの机上におかれてあつた原稿は、その頃の新進、マルタン・デュ・ガアルの「ルリュ爺さん」ではなかつたかと思ふ。
 コポオは、ぐるりと私の方へ向き直つて、あの特徴のある鋭い、しかし、いたづらつ児のやうな眼で、一瞬、私が何ものであるかをたしかめようとするものの如くであつた。
 その時、何を問はれ、何を答へたかは詳しく覚えてゐないが、日本人がよほど珍しかつたとみえ、むしろ意外なくらゐに私の希望をすべて快く容れてくれ、
「君は、この劇場へ、表からでも裏からでも出入は自由だ。当分勝手がわかるまいか…

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