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述懐
じゅっかい
作品ID44827
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集28」 岩波書店
1992(平成4)年6月17日
初出「続眠られぬ夜のために」四季社、1951(昭和26)年3月20日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2011-04-30 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 真夜なかにふと眼が覚めた。パリの下宿の一室である。どうして眼が覚めたのか、と、その瞬間、自分にもわからなかつた。夢を見てゐたやうな気もするが、どんな夢か覚えてゐない。たゞ妙に口の中がなまぐさく、さう気がつくと、顔に冷たいものが触れ、夜具の襟をそつと撫でてみる。べつとり濡れてゐる。傍らの台ランプに火を点ける。すると、私の上半身が、正面の戸棚の鏡に映つてゐる。私は愕然とした。
 なんの予告もなく、前日まではぴんぴん飛びまはつてゐた私に、喀血、しかも、眼をおほひたくなるやうな大喀血が見舞つたのである。
 私は着物を着かへ、寝床の始末をし、静かに、再び横になつた。
「やつぱり直つてゐなかつたのか」と、その時、私は、自分の病歴を想ひ出した。
 十六の時、幼年学校在学中、軍医から肺尖カタルの宣告を受けて三月ばかり入院したことがあり、十八歳の時、士官候補生として九州の連隊で勤務中、同じ病名で二月あまり別府の療養所へ送られたことがある。そして、任官後、その病歴が役に立つて、軍籍を離れることができたのである。
 それから、三十三になるまで、胸の病気などといふことは考へたこともなかつた。
 専門医の診察を受けると、さう心配するほどの容態ではないから、しばらく転地でもして、からだを休めろといふので、私は、無理をしてピレネエ山麓にある避寒地ポオといふ街へ出かけた。が、その後別にからだの調子もわるくないので、すぐにパリへ舞ひ戻つて、芝居見物を毎晩つゞけた。
 日本へ帰つたのは、それから半年後であるが、学校の教師をはじめると間もなく、血痰をみるやうになり、医者のすゝめで、私は学校をやめて辻堂海岸に移つた。ぼつぼつ書きものをしてどうやら生活の資を得られるやうになつてゐたからである。
 ところが、ある夏、房州館山へ所用があつて出掛けると、旅先で風邪をこじらせて肺炎になり、肺炎がやつとおさまつたと思ふと、またまた相当量の喀血で、医者から絶対安静を命ぜられ、私の闘病生活がはじまつた。しかし、最初のうちは、精神的な落ちつきを得ることができず、一度は危篤状態に陥つて、周囲を騒がせた。私がほんとに希望と信念とを与へられ、文字どほり、神妙に医者の言葉を守りはじめたのは、先輩友人の激励と院長保坂博士の指導よろしきを得た結果である。
 数ヶ月後に、私は、忠実な看護婦に附添はれて辻堂の宿に帰ることができ、保坂博士の紹介で、新しい主治医溝淵博士の献身的ともいふべき治療を受ける幸運に恵まれたのである。
 多少の一進一退はあつたけれども、翌年の春からは、もう、執筆の自由が与へられ、それ以来、かなり無理な仕事をしても、別段障りもなくなつた。
 そして、去年、還暦といふわれながら不思議な生き方をしてしまつたのである。

 この病気は、私の経験からいつても、またひとの場合をみてゐても、常に、二重苦、三重苦によつて、そ…

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