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ルイ・ジュウヴェの魅力
ルイ・ジュウヴェのみりょく
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集28」 岩波書店
1992(平成4)年6月17日
初出「芸術新潮 第二巻第十号」1951(昭和26)年10月1日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2011-04-18 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 およそ俳優の芸術ぐらゐ、その「人間」が直接に、そして、むきだしに示される芸術はないであらう。これはあまりに当然なことだから、かへつて、ひとがそれほど問題にしないのだらうけれども、古来、名優といはれるほどの俳優は、きつと例外なく、なによりも、「人間的魅力」において一個の稀有な存在であつた、といふ事実を注意しなければならないと思ふ。
「人間的魅力」と、ひと口にいつても、その質にはいろいろある。俳優の場合には、――ここが往々間違ひ易いところだが。――必ずしも俗にいふ美男美女である必要はなく、また、どんな相手にでも好感をもたれるといふやうな種類のものではない。むしろ、たとへば、物語のなかの人物のやうに、いろいろな特質によつてわれわれの興味を強くひく、人間としての「面白味」といふやうなものであつて、さういふ要素を豊かにもつてゐる俳優でなければ、すぐれた俳優にはなれないし、また、さういふ要素があつてこそ、その才能も十分に生かされるのである。
 ルイ・ジュウヴェは、映画を通じて、日本にも非常に多くの讃美者をもつてゐる俳優であるが、彼はもともと舞台俳優であり、演劇の世界に於て、一層価値ある業績を残してゐることは言ふまでもない。
 私は、一九一九年から二三年まで、パリのヴィユウ・コロンビエ座で、ジャック・コポオの協力者として働いてゐた頃の彼を識つてゐるだけだから、ヴィユウ・コロンビエ座解散の後をうけて、彼が名実ともに、独自の演劇活動をしはじめた頃の、最も華々しい舞台に接する機会はなかつたわけである。
 コポオの下で、主として装置の考案を担当する演出助手のやうな仕事をつづけてゐた彼は、時たま、演し物によつて役を振られることがあるくらゐで、コポオの信任は相当厚かつたけれども、俳優としての実力は、まだ十分に発揮してゐなかつた。
 ほとんど独裁的といつてもいいコポオの傍らで、彼は、一種不思議な勢力をもつてゐた。それは、もちろん、彼の見識の高さと、底知れぬ性格の幅とから来るもののやうに思はれた。
 寡黙で、無愛想で、時に皮肉でさへある彼は、その風貌の異教徒的な凄味と、その態度、音声のもつ特殊な無頼性とを意識的にうまく利用してゐるやうであつた。ところが、さういふ、どぎつい一面も近代的知性のヴェールによつて、渋い「男つぽさ」とでもいふべき雰囲気をほどよく発散させてゐた。
 実際、私のみるところ、日常の彼と、舞台なりスクリーンなりの彼とは、メイキャップと衣裳とを除けば、そんなに違ひはないのであつて、いはゆる演技によつて附け加へられた部分を探すのに骨が折れるくらゐである。
 彼の演ずる人物は、もちろん、彼の柄に合つたものが多いけれども、それにしても、かなりヴァライティーに富んだ持役の範囲をあれだけに立派にこなす秘密は、彼にあつては、それらの人物の生き方を、彼自身、そのままに生き得る精神――多…

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