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演劇の様式――総論
えんげきのようしき――そうろん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「岸田國士全集28」 岩波書店
1992(平成4)年6月17日
初出「演劇講座第四巻 演劇の様式」河出書房、1951(昭和26)年11月25日
入力者門田裕志
校正者Juki
公開 / 更新2011-11-15 / 2014-09-16
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「演劇」の範囲をどこまでひろげるかという問題は、けつきよく、「演劇」の定義次第であるが、また逆に、「演劇」に一つの定義を与えるとすれば、やはり、「演劇」の範囲をまず決めてかからなければならぬ。
 われわれが現在、「演劇」と呼んでいる舞台芸術は、狭い意味では、文学作品としての戯曲の上演を指す。これはもう論議の余地はあるまい。しかし、「戯曲の上演」といつても、そこに厳密な一線を引くことは、どうしても無理である。例えば、即興劇のような、あらかじめ準備された脚本によらず、俳優が舞台に出てから、いきなり「即興的」に対話のやりとりを始め、勝手に「動き」をつけ、彼等の当意即妙の工夫によつて、ひとつの筋を作りあげていく、というような「演劇」の種目も存在する。
 しかし、こういうものを例外として含めても、なおかつそのほかに、様々な特殊な上演形式があつて、俳優はその肉体を舞台に現わさず、その代りに「幻燈の人物像」を使つて、セリフだけを陰でいう、という方法もあり得る。つまり、戯曲、演技、舞台機構、演出、それらの組合せによつて、一つの「物語」が語られるという点で、正統的ともいうべき「演劇」の「かたち」は限定されることになる。
 そこで、ひろい意味では「演劇」の範疇にいれてもよいが、厳密には、それぞれの、固有の名称で呼ばれなければならぬような、一種の「演劇的創造」或は、「演劇的興行」がある。この場合には、おおかた、文学としての戯曲はもはや存在せず、単に物語の主題、または、構成が、音楽または舞踊の「演劇的展開」に利用されているにすぎない。「歌劇」および「舞踊劇」がこれである。ただ、そのうちに、ひとつ、「ラジオ・ドラマ」という特別な種目があつて、これは、「演劇」としての重要な要素を欠きながら、なおかつ、正統的な「演劇」と最も近い繋りをもつている。重要な要素というのは、視覚にうつたえるものが皆無だということで、普通、演劇は、少くとも、俳優のセリフとシグサとをもつて仕組まれるという原則に当てはまらないのである。
 ところが、ただそれだけなら、セリフのない演劇というものが、既に成り立つている。「黙劇」とも「無言劇」とも、「パントマイム」ともいう、俳優のシグサだけの舞台である。このことは、「演劇」の本質と深い関係があるわけで、要するに、俳優が一定の場所へ集つた「観衆」を前にして、じかに、その肉体の表情をもつて、物語りを物語ることが、原則として、演劇の演劇たるゆえんなのである。
 従つて、ラジオ・ドラマが、「テレヴィジョン・ドラマ」になり、たとえそこに視覚にうつたえる要素が加つたとしても、俳優がじかに観衆の前で演技をしてみせ、互にその反応を示し合うのでなければ「演劇」としての真の「すがた」とはいえないことになる。
 それは、それでいいのである。



 狭い意味の演劇、文学としての戯曲の上…

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