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「道遠からん」あとがき
「みちとおからん」あとがき
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集28」 岩波書店
1992(平成4)年6月17日
初出「道遠からん」創元社、1950(昭和25)年11月15日
入力者門田裕志
校正者Juki
公開 / 更新2011-11-03 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 この集におさめた戯曲三篇は、いづれもわたくしの最近の作品で、「速水女塾」以後のものである。
「女人渇仰」は昨年九月「文学界」に、「椎茸と雄弁」は今年一月「世界」に、「道遠からん」はこの六月「人間」に、それぞれ発表した。
 わたくしは、自分の劇作といふ仕事を通じて、現代に於ける「喜劇」の存在理由をますます強く感じるやうになり、その精神の探究と形式の確立に、おぼつかない努力をこれまで払つて来た。その努力は今もつて実を結んだとはいへないけれども、どうやらひとつの方向だけは、これできまつたといふ気がする。必ずしもそれはまつたく新しい方向ではないかもしれない。しかし、わたくしは、わたくしの視角のなかにとらへ得たその方向を、もう見失つてはならない年齢なのである。
「喜劇」はまづなによりも、人間と時代とに対する深いかなしみから生れるものだといふことを、わたくしは信じる。かなしみがかなしみのまゝに終れば、それは、絶望に通じる。わたくしは、そこで立ち止まらないために、あらゆる鞭を自分に加へた。灰色のかなしみから、褐色の憤りが煙のやうにたちのぼるのを、自然の結果とみるほかはなかつた。だが、その時はじめて、自分のうちに、鬱積した「笑ひ」が出口を求めてやまないのを知つた。「喜劇」は、外になくして、内にあつたのである。
 人世批判が諷刺のかたちをとつて喜劇を生むことも事実である。しかし、その事実はまた、批判者が批判に堪えなければならぬといふ意味を含んでゐる。しよせん、喜劇は他のすべての文学作品と同様、或はそれ以上に、鏡にうつる作者の像である。

 まつたく空想の産物であるこれらの三篇は、偶然に、ある現実の一瞬からヒントを得たといふ点で、これまでのわたくしの作品のなかで、むしろ例の少いものである。
「女人渇仰」は、昨年八月、文学界編集者K君の強要によつて、これも珍しく、わたくしは東京のある盛り場のホテルに部屋をとり、雑誌の締め切り日に追はれて、なにかを書かねばならぬ破目に陥つた。暑さは暑し、周囲の騒音にさまたげられて、容易にこれといふ感興が湧かぬ始末であつたが、たまたま、夜更けて散歩を思ひたち、人影のまれな裏通りをぶらぶら足の向くまゝに歩いてゐると、薄暗い町角で若い二人の女性とすれちがつた。その一人が、私に声をかけた。なるほど、東京の夜もパリの夜に似て来たのかと、わたくしは、思はずそちらをふり向いた。すると、もう一人の方が、わたくしの視線をそらすやうに、「なあんだ、ぢいちやんぢやないか」と言ひ放ち、相手の腕を引きよせてから、そのまゝ行きすぎてしまつた。これはおもしろいと、わたくしは思つた。なぜ、おもしろいのか。分析は必ずしもその場の役には立たない。必要なことは、一人の老人のイメージを戯曲的に設定することなのである。わたくしは、その夜から翌日にかけて、一気に、この作品を書きあげた。
「…

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