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「古い玩具」あとがき
「ふるいがんぐ」あとがき
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集28」 岩波書店
1992(平成4)年6月17日
初出「古い玩具」岩波文庫、岩波書店、1952(昭和27)年6月25日
入力者門田裕志
校正者Juki
公開 / 更新2011-10-31 / 2014-09-16
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


『古い玩具』は、一九二三年、パリの旅舎で書いた私の最初の戯曲である。私が戯曲を書くことを思ひ立つたのは、当時、親しくその劇団に出入してゐたピトエフ夫妻のすゝめによつて、自分で同劇団のために脚本を書くことを試みたのである。題を『黄色い微笑』として、それを仏文で書いてピトエフ夫妻に示した。戯曲を夫妻に手渡すと同時に、私は、突然肺患の再発のためにパリを去つて、ピレネ山中のポオに転地しなければならなかつた。ピトエフ氏からは、たゞ、「君の戯曲『黄色い微笑』を読んだ。はなはだピトレスクだ。機会があつたら上演してみたい」といふ返事を受取つただけで、私の病ひはなかなか快方に向はず、志半ばにして日本に帰らねばならなかつた。たまたま帰朝後、山本有三氏の主宰で、新潮社から『演劇新潮』が創刊されるに当り、この作品が同誌に掲載されることになつた。(大正十三年三月)
 この作品で、私は、正面から民族問題を扱はうとしたわけではなかつた。むしろ、東洋の一青年としての孤独な旅の感傷が、わづかに戯曲といふ、当時私の関心の的であつた文学形式にもられることで満足した。この戯曲に対する世評はまち/\であつたが、まだ、戯曲家として立つ決心はつかなかつたにしても、当時の日本の演劇界に対して、幾分の批判を含んだ、新しい演劇美の創造をめざした戯曲創作の希望が、やゝ明確に、私の進路をさし示した。山本有三氏をはじめ、先輩友人諸氏の好意ある声援に励まされて、相次いで『チロルの秋』(大正十三年九月――演劇新潮)『命を弄ぶ男ふたり』(同十四年二月――新小説)『ぶらんこ』(同年四月――演劇新潮)『紙風船』(同年五月――文芸春秋)『パン屋文六の思案』(同十五年――文芸春秋)等を諸雑誌に発表した。
 当時の私は、「何かを言ふために戯曲を書くのではなく、戯曲を書くために何かしらを言ふのだ」と公言して憚らなかつた。
 このことは、当時の日本の戯曲界に対する私の立場を明かにしようとするもので、この宣言は、もちろん私の創作活動を通じて、後年徐々にその偏狭さを是正する必要に迫られた。
 この集に収められた私の初期の戯曲は、さういふわけで、私の当時の日本演劇の非近代性に対する抑へがたい不満を前提とした演劇論の実践の一形態だ。
  一九五二年四月
岸田國士



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