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桜花を詠める句
おうかをよめるく
副題古今女流俳句の比較
ここんじょりゅうはいくのひかく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「杉田久女随筆集」 講談社
2003(平成15)年6月10日
初出「花衣 二号」1932(昭和7)年4月
入力者杉田弘晃
校正者noriko saito
公開 / 更新2006-05-06 / 2014-09-18
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 近代女流俳句は、大正七年以降全国的に長足の進歩をとげているのであるが、しかも尚お、閨秀の和歌に較べて、はるかに下位に取扱われ、閨秀歌人が自由に自家の歌集を世にとい、一般民衆と接触があるに反し、女流俳句は殆ど近代文芸のらち外に置かれているかの感がある。
 たまたま俳句集が出版されても、俳句を作る俳人の間によまれるのみで、一般民衆とは全然没交渉であり、如何なる女流俳句があるかさえ殆ど知る人のないのは遺憾に堪えない。
 よし女流俳句が個々の力は弱くとも、珠玉の句もあまたあり、必ずしも現代女流の和歌と対比して、甚しく優劣があるとは思われない。
 中小学校の教科書等にも、元禄天明の女流俳句がのせられているが、純文学的に価値のひくい千代女の朝顔の句や、すて女の雪の朝二の字二の字句が、女流俳句のすべてであるよう、いつ迄も印象されつつある現状から、も一歩現代女流俳句がどんな所まで進み来たったかという事を、世人に知らしめたいものである。
 エジプトやギリシャの古典が研究される一方、近代的な芸術が是非我々に必要である如く、現代人には近代女流俳句の息吹をも少し理解せしめたい。
 ともかくも女流俳人が全国的にひたすら堅実な歩みを続けてゆく努力は、やがて純正な女流俳句の金字塔を築きあげる永遠の礎ともなり、女流俳句の位置を高め、必らず完成の域へ到達すべき事を、私は確信するものである。
 どうか一丸となって、わが大正昭和の女流俳句を永遠に光輝あらしめたい。
 近代女流俳句というものの真価を識者にいささかでも認めて頂きたい。
 私が、未熟な自分自身をも顧ず、古今の俳句の本を少しばかりあつめ、対比研究して見る心持になったのも、そんな事を日頃から痛感している為めであった。
 而し私の一方ならぬ多忙と浅学、専門的に系統だった研究考察は到底覚束ないが、ただ古今の句を比較して毎号素人らしい研究をつづけて見たく思っている。
 他日何人かの女流俳句研究の資料にでもなれば、それで私の小さい希望は足るのである。
 さて、
 花のさかりも近づいたが、私はかの、

青丹よし 寧楽の都はさく花のにほふがごとく今さかりなり
 寧楽朝を桜花になぞらえて謳歌した万葉歌を日頃から愛誦している。
 桜花の美は百花を圧して、ふじやまや歌麿北斎と共に世界的となり、ワシントンの空にさえ咲き匂う時代となった。
 願わくば花の下にて我死なんとさえうたった歌人もあるのに、我さくらの国の女流俳人はこの花をいかに観じ、いかにたたえているであろうか?
 名高い秋色桜の事をおもいうかべつつ、私は興味をもって、古今の俳書から少しばかり花の句をあさって見た。

山桜散るや小川の水車  智月
かち渡る流早しや山桜  かな女
あふ坂や花の梢の車道  智月
これを見てあれへはゆかん山桜  りん女

 数年前の春だった。寂光院へいそぐ道すがら、次第に山…

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