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大菩薩峠
だいぼさつとうげ
副題19 小名路の巻
19 こなじのまき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「大菩薩峠6」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年2月22日
入力者(株)モモ
校正者原田頌子
公開 / 更新2002-11-14 / 2014-09-17
長さの目安約 204 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 その晩のこと、宇治山田の米友が夢を見ました。
 米友が夢を見るということは、極めて珍らしいことであります。米友は聖人とは言いにくいけれども、未だ曾て夢らしい夢を見たことのない男です。彼は何かに激して憤ることは憤るけれども、それを夢にまで持ち越す執念のない男でした。また物に感ずることもないとは言わないけれども、それを夢にまで持ち込んであこがれるほどの優しみのある男ではありません。しかるにその米友が、珍らしくも夢を見ました。
「あ、夢だ、夢だ、夢を見ちまった」
 米友は身体へ火がついたほどに驚いて、蒲団からはね起きました。実際われわれは、夢を見つけているからそんなに驚かないけれども、物心を覚えて、はじめて夢を見た人にとっては、夢というものがどのくらい不思議なものだか想像も及ばないことです。
 米友とても、この歳になって、初めて夢を見たわけでもあるまいが、この時の狼狽て方は、まさに初めて夢というものを見た人のようでありました。
 そうしてはね起きて、手さぐりで燧を取って行燈をつけ、例の枕屏風の中をのぞいて見ると、そこに人がおりません。
「ちぇッ、よくよくだなあ、まさかと思った今夜もまた出し抜かれちまった」
 米友はワッと泣き出しました。米友が夢を見ることも極めて珍らしいが、泣き出すことはなおさら珍らしいことであります。米友は憤るけれども、泣かない男です。けれどもこの時は、手放しで声を立てて泣きました。
 昼のうちに、あれほど打解けて話しておったその人が、まさか今晩は無事に寝ているだろうと思ったのに、もう出かけてしまった。昨夜の疲れと、その安心とで、ぐっすりと寝込んでしまったおれは、なんという不覚だろう。それに、今まで滅多には見たこともない夢なんぞを、なんだって、こんな時に夢なんぞが出て来たんだろう。あんな夢を見ている間に出し抜かれてしまったのだ。
 あまりのことに米友も、一時は声を揚げて泣いたけれども、いつまでも泣いている男ではない、雄々しく帯を締め直して、枕許に置いた例の手槍を手に取ってみたが、どうしたものか、急にまた気が折れて、手槍を畳の上へ叩きつけると、自分は、どっかと行燈の下へ坐り込んでしまいました。
「いやだなあ」
 米友は苦りきって、行燈の火影に薄ぼんやりした室内を見廻した揚句に、ギックリと眼を留めたそれは、床の間の掛軸です。
「こいつだ、こいつだ、こいつが夢に出て来やがったんだ」
 米友がこいつだと言ったのは、勿体なくも大聖不動尊の掛軸でありました。かなり大きな軸であるが、ずいぶん煤け方がひどいものであります。しかしながら、右手に鋭剣をとり、左手に羂索を執り、宝盤山の上に安坐して、叱咤暗鳴を現じて、怖三界の相を作すという威相は、その煤けた古色の間から燦然と現われているところを見れば、またかなりの名画と見なければなりません。
 日頃、ここに掛け…

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