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アフリカのスタンレー
アフリカのスタンレー
作品ID45067
著者豊島 与志雄
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本児童文学大系 第十六巻」 ほるぷ出版
1977(昭和52)年11月20日
初出「世界探検物語」新潮社、1941(昭和16)年10月
入力者菅野朋子
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-04-29 / 2014-09-16
長さの目安約 39 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 暗黒大陸の父
 世界で最も古い文化の一つは、アフリカ北海岸の一部のエジプトに開けました。また、近代文化の源となつてゐるギリシャやローマの文化は、アフリカの北海岸一帯にその光をなげかけました。その後、世界文化の中心は、西ヨーロッパに移つたやうな有様になりましたが、その西ヨーロッパから、アフリカはすぐ近い所にあります。
 それにも拘はらず、このアフリカ大陸は、海岸地方が世に知られてゐるきりで、その内地の大部分は、まだ探検されずに残つてゐまして、地図の上でも空白になつてをり、秘密のまゝになつて、暗黒大陸と呼ばれてゐました。
 この暗黒大陸を明るみに出すために、十九世紀になつてから殊に、いろいろな探検がなされましたが、奥地の方へふみこむのは容易なことではありませんでした。それにはいろいろな理由があります。
 アフリカは、大部分が熱帯にありまして、そのひどい炎暑が人を苦しめます。それから、北部の広大なサハラ沙漠をはじめ、あちこちに、旅行に困難な沙漠があります。また、海岸地方や谿谷の多くは、熱病の巣と云つてもよいほどであります。それから、猛獣や毒虫がはびこつてゐますし、奥地の方には、獰猛で危険な土人たちが住んでゐます。だから、この大陸の探検は、まつたく命がけの仕事でありまして、実際、多くの探検家が斃れました。
 この探検において、暗黒なアフリカ大陸の父と呼ばれてゐる人があります。
 それは、ダヴィッド・リヴィングストーンであります。
 リヴィングストーンは、千八百十三年に、イギリスのスコットランドに生れました。家が貧しかつたので、工場で働きながら夜学に通ひ、また熱心にいろいろな書物を読みました。それから、医学の勉強をし、次に、宣教師になる修業をしました。未開の人々のために、キリスト教の伝道に生涯を捧げるつもりでゐたのです。そして遂に彼は、千八百四十年の末、暗黒大陸のアフリカへ向つて、宣教師として出発しました。
 その後の彼の生涯は、もうアフリカときり離すことは出来ません。彼の第一の仕事は、アフリカの野蛮な土人たちを教化することでありました。次には、当時アフリカで盛んに行はれてゐた奴隷売買の悪風を防止することでありました。それから第三に、アフリカ内地の地理を探査することでありました。それらの立派な仕事とその気高い人格とのために、彼はアフリカの父と云はれるやうになつたのであります。
 彼の功績で最も目につくのは、やはり、その探検でありまして、アフリカ探検は彼によつて非常な進歩を見ることになりました。
[#挿絵]
 彼は最初、アフリカの南端に行き、それから内地へとはいつて行きました。千八百四十九年には、カラハリの大沙漠を探りました。千八百五十四年には、ザンベジ河の上流地から土人の従者を連れて、西海岸のロアンダに出ることに成功しました。それからまた内地に引返し、こんどはザン…

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