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吊籠と月光と
つるべとげっこうと
作品ID45214
著者牧野 信一
文字遣い新字新仮名
底本 「ゼーロン・淡雪 他十一篇」 岩波文庫、岩波書店
1990(平成2)年11月16日
初出「新潮」1930(昭和5)年3月
入力者土屋隆
校正者宮元淳一
公開 / 更新2005-05-29 / 2014-09-18
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 僕は、哲学と芸術の分岐点に衝突して自由を欠いた頭を持てあました。息苦しく悩ましく、砂漠に道を失ったまま、ただぼんやりと空を眺めているより他に始末のない姿を保ち続けていた。
 いつの頃からか僕は、自己を三個の個性に分けて、それらの人物を架空世界で活動させる術を覚えて、幾分の息抜きを持った。で、なく、あの迷妄を一途に持ち続けていたらあの遣場のない情熱のために、この身は風船のように破裂したに相違あるまい。
 僕の三個の個性というのはこうだ。
 Aは、
「諸々の力が上昇し、下降して、黄金の吊籠を渡し合う。」
 いわば、その流れの呑気な芸術家である。だからAは、その言葉をわれわれに残したあの中世紀の大放蕩詩人の作物を愛誦して、いとしみからと思えば憎しみで、憎しみからと思えばいとしみで、あれからこれへ、これからあれへ、転がそう転がそう、この樽を、セント・ジオジゲイネスの樽のように――とか、兵士の歌だよ、今日は白パン、明日は黒パン……そんな歌ばかりを口吟みながら、昆虫採集で野原を駆けまわったり、「マーメイド・タバン」の一隅で詩作に耽ったり、手製の望遠鏡で星を眺めたり、浮気な恋に憂身を窶したりしているのであった。
 Bは、
「その父・母・妻・子・兄弟、そして汝自身の命をも憎まざる者はわが弟子たる能わず。」
――の聖人の忠実な下僕であった。そして彼は、「マルシアス河の悲歌」の作者ユウリビデスを退けたストア学徒の血を享けて、悲劇を嗤い、ひたすら神と力を遵奉した。論理的技巧を棄てて理性の統一から最も明瞭なる健全な生活を求めなければならなかった。
 Cは、ピザの斜塔の頂きに引き籠って、大小数々の金属製の球を地上に落下して、「落下の法則」を発見したあの科学者の弟子である。Cは、いつも悲しそうな顔ばかりしていた。なぜなら彼がいかほど熱心に多くの球を投げ出して、その落下状態を研究したところで、決してあの科学者の発見に依る「落下の法則」以上の定理を見出し得ないばかりでなく、ただ徒らに落した球を拾っては再び塔の上に昇り、また落し、注視し、また拾い――を繰り返すに過ぎなかったから。
 或日この三人が、諸国遍歴の旅に出かけようという相談をした。どこへ行ったところでどうせこれ以上のことはないというあきらめを持っている憂鬱なCは、厭々であったが、持物といっては金属性の球だけをポケットにして、饒舌なAや気難し屋なBと共々打ち連れて、先ず都を指して旅にのぼった。いうまでもなくこの三人の者は常々不和の仲で、途上で出遇っても碌々挨拶も交したことのないほどの間柄なのである。
 ………………
 これだけの緒口を考えつくと僕は、急に愉快になって寝台から飛び降りた。僕の頭は梅雨期を過ぎて初夏の陽が輝いたかのように爽々しくなった。
 僕は名状しがたい嬉しさに雀躍りしながら、壁飾りに掛けてあるアメリカ・インデアンの鳥…

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