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創作生活にて
そうさくせいかつにて
作品ID45219
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第五巻」 筑摩書房
2002(平成14)年7月20日
初出「新潮 第三十一巻第十一号」新潮社、1934(昭和9)年11月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-11-16 / 2014-09-21
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 窓下の溝川に蛙を釣に来る子供たちが、
「今日は目マルは居ねえのか。」
「居ないらしいぞ。」
 などと、ささやき合つてゐるのを聴いた。
 さういふ俗称の蛙がゐると見える、いつたい何んな蛙の謂なのか――と私は、読みかけてゐた本を顔の上に伏せて、蚊帳のなかで耳をそばだてた。二三日前に押入の隅から取出した幼児の褓※[#「ころもへん+呂」、396-7]蚊帳だつた。この貸家の先住者が忘れて行つたものらしい。洋傘の式で紐を引くと、四ツ手網のやうにパツと拡がるのであつた。川トンボの模様が薄墨色で描かれ、水のすがたが乙字型に流れてゐる。私は、稍々ともするとこんな蚊帳をかむり、手脚を極端に縮めながら、不可能なる夢と争つた。
 ……「やあ、目マルは寝てゐるんだよ。」
「ほんたうか……」
「水鉄砲でおどかしてやらうか。」
 声だけで私は、あれは岡本屋の倉だ、鍛冶屋の庄だ、酒倉の伝だ――と聴きわけられるのだ。普通に、このあたりでは人の名前を一字に略して呼び、敬称は付け足さず、或ひは仇名が平気で通用してゐた。いつも私は、蛙を苛める子供たちを見つけると、窓から半身を乗り出して大声で呶鳴るのであつた。それ故、村のいたづら子たちとは、次第に敵味方で、彼等は机の前で苦気な顔つきを保つたまゝ、主に窓の外ばかりをぼんやりと眺めてゐる私に溝の向うから挑戦して来るのであつた。田舎の子供たちの、悪いたづらや執拗な悪づれは言語同断で、事毎に私は癇癪をたかぶらされた。中でも倉や伝は、生意気の司で、聞くに忍びないやうな卑猥な言辞を弄して通りがかりの娘などをからかつた。その癖、成人の姿に面と向つて接すると、はにかみなのか低脳なのか察しもつかぬのであるが、土竜のやうにむつつりとしてしまつて、ものを尋ねても返事もしなかつた。私は坂下の倉の店に飯を食ひに行くので、そして私はどちらかといふといつも少年に親しみ深い方なので、酒飲みなどには向はずに、倉の相手にならうとするのであつたが、彼は恰も疑ひに満ちた眼でぴつかりと此方の顔を眺めてゐるばかりで断乎として口を利かなかつた。
「唖なのか?」と私は云つたことがある。
「このガキは内気なんだよ――。おツさんが銭やるつてよ、倉――」
 母親がそんなことを云ふと、倉は私が銭を与へるまでは動かなかつた。
 親父がバリカンをつかつて倉の髪を刈る時は、まるでドラ猫を絞めるやうな騒ぎであつた。倉の木槌型の頭は虎斑で、シラクモが蔓つてゐた。
「野郎、もう少し凝つとしてゐねえか。」
 親父は倉の首根つこを鷲掴みにして、じやくじやくとバリカンを動かすのだが、屡々舌を鳴らして、頭をはつた。すると倉は、蟹のやうに歪めてゐる顔つきの中で、赤い口をカツと開くと、
「動かずに居られるけえ。ケバが襟ツ首に一杯ぢやねえかよ。払つたらどうだい?」
 などと父親の拳固などは怕る気しきもなく喚きたてるのであつた。…

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