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がん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「雁」 新潮社、新潮文庫
1948(昭和23)年12月5日、1985(昭和60)年11月15日第76刷改版
初出壱、弐、参「スバル 第三年九号」1911(明治44)年9月、肆、伍「スバル 第三年十号」1911(明治44)年10月、陸、漆「スバル 第三年十一号」1911(明治44)年11月、捌、玖「スバル 第三年十二号」1911(明治44)年12月、拾、拾壱「スバル 第四年二号」1912(明治45)年2月、拾弐「スバル 第四年三号」1912(明治45)年3月、拾参、拾肆「スバル 第四年四号」1912(明治45)年4月、拾伍、拾陸「スバル 第四年六号」1912(明治45)年6月、拾漆、拾捌「スバル 第四年七号」1912(明治45)年7月、拾玖「スバル 第四年九号」1912(大正1)年9月、弐拾「スバル 第五年三号」1913(大正2)年3月、弐拾壱「スバル 第五年五号」1913(大正2)年5月、弐拾弐、弐拾参、弐拾肆「雁」籾山書店1915(大正4)年5月
入力者kompass
校正者浅原庸子
公開 / 更新2005-11-12 / 2014-09-18
長さの目安約 150 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条と云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人であった。その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外は大学の附属病院に通う患者なんぞであった。大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気が利いていて、お上さんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。時々はその箱火鉢の向側にしゃがんで、世間話の一つもする。部屋で酒盛をして、わざわざ肴を拵えさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘をするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。先ずざっとこう云う性の男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅にすると云うのが常である。然るに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗る趣を殊にしていた。
 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。それは美男だと云うことである。色の蒼い、ひょろひょろした美男ではない。血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。強いて求めれば、大分あの頃から後になって、僕は青年時代の川上眉山と心安くなった。あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。あれの青年時代が一寸岡田に似ていた。尤も当時競漕の選手になっていた岡田は、体格では[#挿絵]かに川上なんぞに優っていたのである。
 容貌はその持主を何人にも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。遣るだけの事をちゃんと遣って、級の中位より下には下らずに進んで来た。遊ぶ時間は極って遊ぶ。夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。日曜日には舟を漕ぎに行くか、そうでないときは遠足をする。競漕前に選手仲間と向島に泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。誰でも時計を号砲に合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠って匡されるのである。周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じ…

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