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秋窓雑記
しゅうそうざっき
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1974(昭和44)年6月5日
初出「女學雜誌 三三〇號」女學雜誌社、1892(明治25)年10月22日
入力者kamille
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-11-05 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     第一

 かなしきものは秋なれど、また心地好きものも秋なるべし。春は俗を狂せしむるに宜れど、秋の士を高うするに如かず。花の人を酔はしむると月の人を清ましむるとは、自から味を異にするものあり。喜楽の中に人間の五情を没了するは世俗の免かるゝ能はざるところながら、われは万木凋落の期に当りて、静かに物象を察するの快なるを撰ぶなり。

     第二

 希望は人を欺き易きものぞ。今年の盛夏、鎌倉に遊びて居ること僅かに二日、思へらく此秋こそは爰に来りて、よろづの秋の悲しきを味ひ得んと。図らざりき身事忙促として、空しく中秋の好時節を紅塵万丈の裡に過さんとは。然れども秋は鎌倉に限るにあらず、人間到るところに詩界の秋あり。欺き易き希望を駕御するの道は、斯にこそあれ。

     第三

 我庵も亦た秋の光景には洩ざりける。咽なきやぶるばかりのひよどりの声々、高き梢に聞ゆるに、[#挿絵]を開きてそこかこゝかとうち見れば、そこにもあらず、こゝにもあらず、[#挿絵]を閉ぢて書を披けば一層高く聞ゆめり。鳥の声ぞと聞けば鳥の声なり、秋の声ぞと聞けば、おもしろさ読書の類にあらず。

     第四

 病みて他郷にある人の身の上を気遣ふは、人も我もかはらじ、左れど我は常に健全なる人のたま/\床に臥すを祝せんとはするなり。病なき人の道に入ることの難きは、富めるものゝ道に入り難きに比しからむ。世には躰健かなるが為に心健かならざるもの多ければ、常に健やかなるものゝ十日二十日病床に臥すは、左まで恨むべき事にあらず、況してこの秋の物色に対して、命運を学ぶにこよなき便あるをや。斯く我は真意を以て微恙ある友に書き遣れり。

     第五

 萩薄我が庭に生ふれど、我は在来の詩人の如く是等の草花を珍重すること能はず。我は荒漠たる原野に名も知れぬ花を愛づるの心あれども、園芸の些技にて造詣したる矮少なる自然の美を、左程にうれしと思ふ情なし。左は言へど敢て在来の詩人を責むるにもあらず、又た自己の愛するところを言はんとにもあらず、唯だ我が秋に対する感の一として記するのみ。

     第六

 鴉こそをかしきものなれ。わが山庵の窓近く下り立ちて、我をながし目に見やりたるのち、追へども去らず、叱すれども驚かず、やゝともすれば脚を立て首を揚げて飛去らんとする景色は見すれど、わが害心なきを知ればにや、たゞちよろ/\と歩むのみ。浮世は広ければ、斯る曲物を置きたりとて何の障りにもなるまじけれど、その芥ある処に集り、穢物あるところに群がるの性あるを見ては、人間の往々之に類するもの多きを想ひ至りて聊か心悪くなりたれば、物を抛ぐる真似しけるに、忽ちに飛去りぬ。飛去る時かあ、かあ、と鳴く声は我が局量を嘲る者の如し。実に皮肉家と云ふもの、文界のみにはあらざりけり。

     第七

 夜更けて枕の未だ安まらぬ時蟋蟀…

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