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心機妙変を論ず
しんきみょうへんをろんず
作品ID45242
著者北村 透谷
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1974(昭和44)年6月5日
初出「女學雜誌 三二八號」女學雜誌社、1892(明治25)年9月24日
入力者kamille
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-11-09 / 2014-09-18
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 哲学必ずしも人生の秘奥を貫徹せず、何ぞ況んや善悪正邪の俗論をや。秘奥の潜むところ、幽邃なる道眼の観識を待ちて無言の冥契を以て、或は看破し得るところもあるべし、然れども我は信ぜず、何者と雖この「秘奥」の淵に臨みて其至奥に沈める宝珠を探り得んとは。
 むかし文覚と称する一傲客、しばしが程この俗界を騒がせたり。彼は凡ての預言者的人物の如く生涯真知己を得ることなく、傲逸不遜磊落奇偉の一人物として、幾百年の後までも人に謳はれながら、一の批評家ありて其至真を看破し、思想界に紹介するものもなく今日に及びぬ。時なるかな、今年の文学界漸く森厳になりて、幾多思想上の英雄墳墓を出て中空に濶歩する好時機と共に、渠も亦た高峻なる批評家天知子の威筆に捕はれて、明治の思想界に紹介せられたり。
 天知君は文覚の知己なり、我は天知君をして文覚と手を携へて遊ばしむるを楽しむ、暗中禅坐する時、彼の怪僧天知君を訪らひ来て、豪談一夜遂に君を起して彼の木像を世に顕はさしむるに至りたるを羨まず。わが所望は一あり、渠が知己としてにあらず、渠が朋友としてにあらず、渠が裡面の傍観者として、渠の心機一転の模様を論ずるの栄を得む。
 蓮池に臨みて蓮蕾の破るゝを見るは、人の難しとするところなり。蓮華何の精あるかを知らず、俗物の見るを厭ふて幾多の見物人を失望せしむること多しと聞く。暁鴉に先ちて寝床を出で、池頭に立ちて蓮女第一回の新粧を拝せんとするの志あるもの、既に俗物を以て指目するに忍びず、然れども佳人何すれぞ無情なる、往々にして是等の風流客を追ひ回へすことあるは。人間界の心池の中に霊活なる動物の、心機妙転の瞬時の変化も、或は蓮花開発に似たるところあり。
 風静かに気沈み万籟黙寂たるの時に、急卒一響、神装を凝らして眼前に亢立するは蓮仙なり、何の促すところなく、何の襲ふところなく、悠然泥上に佇立する花蕾の、一瞬時に化躰して神韻高趣の佳人となるは、驚奇なり、然り驚奇なり、極めて普通なる驚奇なり、もし花なく変化なきの国あらば、之を絶代の奇事と曰はむ。絶代の奇事にして奇事ならざるもの、自然の妙力が世眼に慣れて悟性を鈍くしたるの結果とや言はむ。
 人間の心機に関して深く観察する時は、この普通なる驚奇の変化最も多く、各人の歴史に存するを見る。然りこの変化の尤も多くして尤も隠れ、尤も急にして尤も不可見のもの、他の自然界の物に比すべくもあらざるものあるは、人生の霊活を信ずるものゝ苟くも首肯せざるはなきところなり。悪を悪なりとし、善を善なりとし、不徳を不徳とし、非行を非行とするは、俗眼だも過つことなきなり、但夫れ悪の外被に蔽はれたる至善あり、善の皮肉に包まれたる至悪あるを看破するは、古来哲士の為難しとするところ、凡俗の容易に企つる能ざる難事なり。もし夫れ悪の善に変じ、善の悪に転じ、悪の外被に隠れたる至善の躍り出で、善の皮肉に蔵れたる…

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