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他界に対する観念
たかいにたいするかんねん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1974(昭和44)年6月5日
初出「國民之友 一六九號~一七〇號」民友社、1892(明治25)年10月13日、23日
入力者kamille
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-11-14 / 2014-09-18
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 悲劇必らずしも悲を以て旨とせず、厭世必らずしも厭を以て趣とせず、別に一種の抜く可からざる他界に対する自然の観念の存するものあり、この観念は以て悲劇を人心の情世界に愬へしめ、厭世を高遠なる思想家に迎へしむ、人間ありてよりこの観念なきはあらず、或は遠く或は近く、大なるものあり、小なるものあり、宗教この観念の上に立ち、詩想この観念の糧に活く。
 この観念は世界の普通性なり、而してこの観念あると共に離る可からざるものは、この観念に二元性ある事なり。或は善悪と云ひ、或は陰陽と言ひ、或は光暗と云ふが如き、ペルシヤのむかしに、アームズトの神、アハメルの神ありし如く、イスラエルのむかしに、ヱホバ神と悪魔とを対比せし如く、顕著なると顕著ならざると、一神と多神との区別あり、あらざるとに拘らず、彼の元を二にするの性は此観念に離れざるなり。凡そ詩歌あるの国に於て鬼といふ字のあらざるはなかるべく、神といふ字のあらざるはなかるべし、コメデイ或は鬼神なきの国にも発達するを得ん、トラゼヂイに至りては必らず鬼神なきの国に興るべからず、シユレーゲルも論じて古神学は希臘悲劇の要素なりとは言へり、げにやソホクルス以下の名什も、彼国に鬼神なかりせば恐らくは伝ふる程の物にてはあらざりしならむ。
 フヱーリイあり、ヱンゼルあり、サイレンあり、スヒンクスあり、或は空中に棲めるものとし、或は地上の或奥遠なるところに住めりとなす、共に他界に対する観念なり、遠近は世界の広狭によりて差ありしのみ。或は聖美なるもの、或は毒悪なるもの、或は慈仁なるもの、或は獰猛なるもの、宗教の変遷、思想の進達に従ひて其形を異にするが如しと雖、要するに二岐に分れたる同根の観念なり。
 ギヨオテのメヒストフエリスを捕捉して其曲中に入らしむるや、必らずしも斯の如き他界の霊物実存せりと信ぜしにもあらざるべし、余が他界に対する観念を論じて、詩歌の世界に鬼神を用ふる事を言ふも、強いて他界の鬼神を惑信するにはあらず。詩歌の世界は想像の世界にして、霊あらざるものに霊ありとし、人ならざるものに人の如くならしめ、実ならざるものを実なるが如くし、見るべからざるものを見るべきものとするは、此世界の常なり、万有教あらざる前に此世界には既に万有教の趣味あり、形而上の哲学あらざる前に此世界には既に形而上の観念あり、想像は必らずしもダニヱルの夢の如くに未来を暁らしむるものにあらざるも、朝に暮に眼前の事に齷齪たる実世界の動物が冷嘲する如く、無用のものにはあらざるなり。漠々茫々たる天地、英国の大詩人をして、
There are more things in heaven and earth,
Horatio,
Than are dreamt of in your philosophy.
と畏れしめたるもの、豈偶然ならんや。
「ハムレツト」の幽霊は実に此観念、この畏怖…

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