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「漱石のオセロ」はしがき
「そうせきのオセロ」はしがき
作品ID45253
著者野上 豊一郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「漱石のオセロ」 鐵塔書院
1930(昭和5)年5月10日
入力者門田裕志
校正者染川隆俊
公開 / 更新2009-07-13 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       はしがき

 これは故夏目金之助先生が明治三十八年九月から東京帝國大學文科大學英文學科の講義として讀まれた Othello の筆記である。先生の Shakespeare の講義は、今一つの文學史の講義と同樣に、一週三時間であつた。私は、明治四十年三月に先生が大學をやめられるまで、Othello の外に尚ほ The Tempest と The Merchant of Venice と Romeo and Juliet を聽いた。少くとも先生の講義に對しては、私は忠實なる一學生であつた。その講義が、いかに先生獨得のものであり、いかに批評的であり、またいかに暗示的であつて私を動かしたかを、決して忘れない。震災でこはれて燒けた赤い煉瓦のゴシックの建物の中の第二十番教室であつた。その薄暗い教室はいつも聽講者で一ぱいであつた。私はその片隅の机に向つて、Cassell 版の小さいポケット本を開き、先生の口から洩れる一言半句をも聞き落すまいと全身を耳にした。先生は多くの訓詁註解者の上に立つて全然自分一箇のあたまで批判しようとしてゐたらしい。Furness の集註本を唯一無二の金科玉條と心得てゐた私たちにとつて、それは一つの驚異であつた。その解釋と批評の言葉がそれきり空間に消えてしまふのが限りなく惜まれた。私はペンを走らして出來るだけその言葉を Text の間に書き留めて置いた。それが此の筆記である。併し私のあたまは主として原文を理解する事の方へ向つてゐなければならなかつた。だから書き留め得たものは、先生の口を洩れたものの果して何分の一に過ぎなかつたであらう。今久しぶりに取り出して見て、殊にさう感じられる。まだいろいろあつたやうにも思はれるが、今更どうすることも出來ない。だが、これだけでも、讀んで見ると、私には、すでにおぼろげになつた記憶の間からさまざまの影像が浮かみ出して來て、その時感じたであらうやうな暗示を感じることが出來る。それと同じやうな印象を、此の書の讀者に、私の不完全なる筆記が若し與へることが出來て、漱石先生の特異なる表現の幾分かをでも再現せしめることが出來るならば、私としては滿足である。

 此の書には辭句の解釋も取扱方の批判もすべて先生の口から出たものだけが記されてあるわけである。
 書き留めた文體は必ずしも先生の表現であるとは限らない。先生の表現をそのまま保存してあるやうに思はれる部分もあれば全然筆記者の便宜から要領だけを書きつけた部分もあるらしい。すべてそのままにして手を入れない。
 それ故に或ひは此の書は、夏目金之助氏がいかに Shakespeare を解釋したかを示すものといふよりは、寧ろ筆記者はいかに夏目金之助氏の講義を聽いたかを示すものに過ぎないかも知れぬ。
 例へば或る難解の辭句に封して先生は諸家の説を擧げてそれを批判し、且つ自分の…

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