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Resignation の説
レジグナツィオーンのせつ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「歴史其儘と歴史離れ 森鴎外全集14」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年8月22日
初出1909(明治42)年12月
入力者大田一
校正者noriko saito
公開 / 更新2005-08-28 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 現代の思想とか、新しい作者の発表している思想とか云うものについて話せというのですか。それは私の立場として頗る迷惑です。
 もし私が現に批評壇に立っている諸君と同一な思想を持っていたなら、別にそれを発表する必要がないわけでしょう。もし変った思想を持っていたなら、それを発表した結果がどうなるでしょうか。
 それについては多少の経験を持っています。ついどうかした機会に何か言うことがある。そしてその都度不愉快極まる反響を聞くのです。
 昨今は私が何か云うと、愚痴とか厭味とか云ってからかわれることになっている。それだけで何の効果もない。何の役にも立たない。人に利益は与えずに、自分が不愉快な目に逢うのみです。そんなことは私だってしたくはないのです。
 現在の文芸界では active に何かしている、重立った諸君は極まっています。田山君とか、島崎君とか、正宗君とか、それから少し後に仲間入をしたような小山内君とか、永井君とか云うような諸君でしょう。それと少し距離のある方面で働いているのは夏目君に接近している二三の人位なものでしょうか。小説以外の作品を出していられる諸君は数えません。
 そこで私がそう云う諸君の下風に立っていて、何だか不平を懐いているものとでも認められているらしく見えます。私の言うことを愚痴、厭味と極められている意味はそう云う意味かと思います。
 おおかたこんなことを言えば、即ちそれが厭味だと云うかも知れません。然らば口を閉じるより外はないようなものです。
 所が、私の考えている事は全く違っています。尤もこの考えている事というのが、告白であるかないか、矯飾をしていないかという疑問が直ぐに伴って来る。もっと立ち入って云えば、自分では云々と考えていると思っても、それは自ら欺いている、即ち自己のために自己を矯飾しているのかも知れない。そんな風に穿鑿して見ると、むしろ頭からその考えている事を言わずに置くのが好いかも知れないのです。
 しかし何と云われたって、云われついでだから云いましょう。私は田山君のように旨くないと云われても、実際どうでもない。田山君も、正宗君も、島崎君も私より旨くて一向差支がないように感じています。それは私の方が旨くても困りはしません。しかしまずくても構いません。ちっとも不平が無い。諸君と私とを一しょに集めて、小学校のクラスの座順のように並ばせて、私に下座に座ってお辞儀をしろと云うことなら、私は平気でお辞儀をするでしょう。そしてそれは批評家の嫌う石田少介流とかの、何でもじいっと堪えているなんぞと云うのではありません。本当に平気なのです。
 私の考では私は私で、自分の気に入った事を自分の勝手にしているのです。それで気が済んでいるのです。人の上座に据えられたって困りもしないが、下座に据えられたって困りもしません。
 こう云う心持は愚痴とか厭味とか云う…

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