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雪の日
ゆきのひ
作品ID4528
著者樋口 一葉
文字遣い新字旧仮名
底本 「新日本古典文学大系 明治編 24 樋口一葉集」 岩波書店
2001(平成13)年10月15日
初出「文学界 第三号」1893(明治26)年3月31日
入力者土屋隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-09-08 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 見渡すかぎり地は銀沙を敷きて、舞ふや蝴蝶の羽そで軽く、枯木も春の六花の眺めを、世にある人は歌にも詠み詩にも作り、月花に並べて称ゆらん浦山しさよ、あはれ忘れがたき昔しを思へば、降りに降る雪くちをしく悲しく、悔の八千度その甲斐もなけれど、勿躰なや父祖累代墳墓の地を捨てゝ、養育の恩ふかき伯母君にも背き、我が名の珠に恥かしき今日、親は瑕なかれとこそ名づけ給ひけめ、瓦に劣る世を経よとは思しも置かじを、そもや谷川の水おちて流がれて、清からぬ身に成り終りし、其あやまちは幼気の、迷ひは我れか、媒は過ぎし雪の日ぞかし。
 我が故郷は某の山里、草ぶかき小村なり、我が薄井の家は土地に聞えし名家にて、身は其一つぶもの成りしも、不幸は父母はやく亡せて、他家に嫁ぎし伯母の是れも良人を失なひたるが、立帰りて我をば生したて給ひにき、さりながら三歳といふより手しほに懸け給へば、我れを見ること真実の子の如く、蝶花の愛親といふ共これには過ぎまじく、七歳よりぞ手習ひ学問の師を撰らみて、糸竹の芸は御身づから心を尽くし給ひき。扨もたつ年に関守なく、腰揚とれて細眉つくり、幅びろの帯うれしと締めしも、今にして思へば其頃の愚かさ、都乙女の利発には比らぶべくも非らず、姿ばかりは年齢ほどに延びたれど、男女の差別なきばかり幼なくて、何ごとの憂きもなく思慮もなく明し暮らす十五の冬、我れさへ知らぬ心の色を何方の誰れか見とめけん、吹く風つたへて伯母君の耳にも入りしは、これや生れて初めての、仇名ぐさ恋すてふ風説なりけり。
 世は誤の世なるかも、無き名とり川波かけ衣、ぬれにし袖の相手といふは、桂木一郎とて我が通学せし学校の師なり、東京の人なりとて容貌うるはしく、心やさしければ生徒なつきて、桂木先生と誰れも褒めしが、下宿は十町ばかり我が家の北に、法正寺と呼ぶ寺の離室を仮ずみなりけり、幼なきより教へを受くれば、習慣うせがたく我を愛し給ふこと人に越えて、折ふしは我が家をも訪ひ又下宿にも伴なひて、おもしろき物がたりの中に様々教へを含くめつ、さながら妹の如くもてなし給へば、同胞なき身の我れも嬉しく、学校にての肩身も広かりしが、今はた思へば実に人目には怪しかりけん、よしや二人が心は行水の色なくとも、結ふや嶋田髷これも小児ならぬに、師は三十に三つあまり、七歳にしてと書物の上には学びたるを、忘れ忘られて睦みけん愚かさ。
 見る目は人の咎にして、有るまじき事と思ひながらも、立ちし浮名の消ゆる時なくば、可惜白玉の瑕に成りて、其身一生の不幸のみか、あれ見よ伯母そだてにて投げやりなれば、薄井の娘が不品行さ、両親あれば彼の様にも成らじ物と、云ひたきは人の口ぞかし、思ふも涙は其方が母、臨終の枕に我れを拝がみて。姉様お願は珠が事をと。幽かに言ひし一言あはれ千万無量の思ひを籠めて、まこと闇路に迷ひぬべき事なるを、引受けし我れ其甲斐もなく、世の嗤笑に為し…

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