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山を降る一隊
やまをくだるいったい
作品ID45293
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第三巻」 筑摩書房
2002(平成14)年5月20日
初出「週刊朝日 第十七巻第一号」朝日新聞社、1930(昭和5)年1月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-09-10 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「メートル係り。」
 それが私の仕事である。
 伐木場から橇で運ばれて来る木材の切り口を物差で計るのである。私は槍のやうに長い物差を振り廻して木口の寸法を計ると、
「何メートル、何々……」
 と非常に大きな声で――相当の間隔のある事務所の窓口でそれを即座に記帳する係の者に一ト声で易々と聞きとれる程度に、だから、それは兵卒に向つて照尺の度合を命令する指揮官の号令ほどの明確さと声高さを要するのだ――叫ばなければならないのである。橇は間断なく到着するので、私は指揮官のやうな号令を、のべつに叫び続けなければならないのである。
 麓の村から二里も入る山奥の製材所の仕事である。
「このごろでは、すつかりあなたの声はプロフエツシヨナルになつて来たわよ。」
「喉が吹つきれたと見えるな。」
「ほんとうよ。今でもあたし、帳簿をつけながら、それがあなたの声だとは思へないことよ。その小さい姿さへ見なければ――」
「さうだらう。自分でも時には、うつとりとすることさへあるもの――」
 窓口の記帳係は妻のこともあつた。私達は、或る特別の好意で短い期間をそこの事務所に雇つて貰つたのである。「特別の好意」といふものゝうちには、私が凡そそんな仕事には不向の酷く因循な文学青年であること、町の「だらしのない放蕩児であつたこと、腕力の皆無のこと、計算的観念に乏しいこと」――その他様々の欠点を認められての上だつたから。
 私は、爽快な健康に目醒めて晴れやかだつた。私は、慣れて、歌をうたふやうな快よさをもつて仕事にいそしめた。私は、寸法を呼びあげる時に末尾を上に切りあげてしまふので、寸法の大きさに依つて賃金の高まる橇の連中の間では絶大な好評を拍され、尊敬された。
 彼等の小屋の酒盛に招かれると、何時も私は上座に引きあげられて恭々しく盃をさゝれるのが慣らひであつた。私は自分の叫び声ひとつで、彼等の酒盛を豊かにさせることが出来るのかと思ふととても愉快だつた。
 或晩あまりに花やかな酒盛の揚句、これから里に降つて夜会を催さうといふことに一決して私と妻の二人だけが恰も王様と后のやうに馬に乗せられて、炬火を先頭にして繰出した。何うして私がこんな素晴らしい衆望を荷つてゐるかといふ理由を知らない妻は、それを私の人格的な原因であるかのやうに誤解して、晴れやかな微笑をおくつた。彼女は翌朝の帰り途で獲物をしてやらうといつて、ライフル銃を斜に背おつたりした。
 芝になつてゐる峠の絶頂に来ると、村里の灯が沖の漁火のやうに見渡された。そして、あたりは広大な平野で恰度月が昇つたころだつたので海原を見渡すやうであつた。
 行列はそこに到達すると思はず脚をとゞめて炬火を振りかざしながら鬨の声をあげた。そして携へてゐる酒徳利を順々に手渡して、ラツパ飲みを試みた。
 私はほど好く酔の廻つてゐる眼で、馬上ゆたかにこの壮麗な原野を見渡すと、凱…

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