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痴酔記
ちすいき
作品ID45323
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第四巻」 筑摩書房
2002(平成14)年6月20日
初出「文藝春秋」文藝春秋社、1931(昭和6)年2月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-01-28 / 2016-05-09
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 千九百三十年、クリスマスにちかき頃――。

     一

 J・K兄
「シプリア人と処女の話」の作者の名前は解らぬだらうか? そして、矢張りこの作が、吾々の悪魔を、作品のうちにとり入れた世界での最初の文芸作品であらうか? それから「シプリア人と処女の話」といふのが本来の題名なのか、それとも「アグリタスとジヤステイナ」が原名なのか、君の意見を訊きたい。アグリタスはジヤステイナを意に従へるために終に悪魔の助力を乞ふのであるが、それも無駄になり、アグリタスは悪魔との規約を破つてその洞窟を去り、全く孤独でジヤステイナを訪れるのだが、悪魔は彼の変心を怒つて、何と叫ぶのであつたかね? その罵りの言葉を是非とも訊きたいのであるが、不明であつたら君自身の創作で、その言葉を僕に与へて呉れ。
 ――僕は、憂鬱で堪らない。

     二

 K兄、また書くよ。
「シプリア人と処女の話」の次に吾等の悪魔の現れる作品は「ガンデルシヤイム寺院の会計係テオヒラスの誘惑」であらうか? そしてこの作者は十世紀代の女流詩人ホロース・ウヰーサか? この作品は朗読に価する韻文詩の由であるが、誰かの和訳文はないだらうか。僕は、テオヒラスが職を失うてシシリアの街を慟哭しながらさ迷ふところを、今日のやうに貧しく寄辺ない心の日に朗読したならば定めし意に添ふであらうと思ふのだよ。
 ホロース・ウヰーサから、一六三七年のカルデロンの「或る魔術師の話」に至るまでの間には、一五〇七年のヨハネス・トリテミアスの「ファウスタス書翰集」一五四八年ヨハンガストの「備忘録」マリンアスの「日記」、一五八八年ウヰールの「ファウスタスとの交遊」一五九九年ウイドマンの「ファウスタスの手記」等で、実在の彼の伝記、逸話が集められてゐるが、彼を題材に選んだ文芸作品は一つもないのかしら?
 僕は読んだ――。
 パイロン「マンフレツド」
 ヨハネス・スパイス「ファウスタス伝」
 クリスト・マロウエイ「ファウスタスの悲惨なる伝記」
 レツシング「フアウスト」
 ゲーテ「ファウスト」
 ツルゲネイフ「フアウスト」
 等と僕は、薄曇りのした空を見あげながら指を折るのであるが、未だ/\沢山の脱落があることだらうな、ファウスタスに酷似した人物が登場する作品に関しては――。
 悪魔との契約書は、紀元十三世紀以後に於ては、必ず血をもつて認めらるべく規定されてゐる由、君も僕も悪魔に従うて、先づ第一に貧困と戦ひつゝあるが、僕は契約時の文面が成りたゝぬのである、血は斯の如く惜まぬ者であるが――。
 僕はこの頃、この部屋か或ひは「多くの人々は多様なる彼方に赴くべし、而して知識は増さるべし」とか「自然界に向つて吾等は吾等の意見を押売する」とかといふ厭に勿体振つた意味からANTICIPATIO・MENTISといふ屋号の、仲々もつてエロティックな酒場に自分自身を…

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