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冬物語
ふゆものがたり
作品ID45330
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第六巻」 筑摩書房
2003(平成15)年5月10日
初出「中外商業新報 第一七九六四号~第一七九六六号」中外商業新報社、1936(昭和11)年1月24日~26日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-12-09 / 2014-09-21
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 その田舎の、K家といふ閑静な屋敷を訪れて、私は四五年振りでそこの古風な庭を眺めることを沁々と期待してゐたが、折悪しく激しい旋風がこゝを先途と吹きまくつて止め度もなく、遥かの野面から砲煙のやうに襲来する竜巻の津波で目もあけられぬ有様だつた。
「何もこの風は、けふに限つたことではありはしない。大体冬ぢうは吹き通す風さ。」
 とK家の主の銑太郎は、風流さうな顔つきを曝して遥々とやつて来た私をわらつた。私も吾ながらの迂闊さを後悔したが、そんな激しい風が、何も事更でもないといふやうな土地の、身を切らるゝ寒さは想像にあまるものであつた。
 私は座敷にあがつてからも、暫くの間は胴震ひが収まらなかつた。硝子戸の外に庭をすかしても、灰色の風巻に踊る木ノ葉の吹雪が雄叫びを挙げて狂つてゐるばかりで泉水の在所さへも指摘し難い凄じさであつた。折々大鯉が跳ねあがつたかのやうに落葉に埋れた池の水が水煙を挙げたが、それも勿論鯉などは水底に息を殺して瞑目してゐるのみで、凜烈な風の剣打ちで、だがそれで始めて水の溜りが想像されるのであつた。その度毎に長い回廊の硝子戸が一勢に胴震ひして、稍ともすると対手の言葉さへもが聞きとれぬ底の、りんりんたる木枯が悲鳴を挙げて吹き荒んでゐた。
「驚いたね、冬ぢうこんな風だなんて、憂鬱極まるぢやないか。」
 私は思はず銑太郎に罪でもあるかのやうに、そんな不平の音を挙げた。
「とても堪らんよ。」
 と銑太郎も滾した。「この村の人達の顔色は素焼の土瓶のやうだが何も腎臓病といふわけではなく、先祖伝来この風に吹きまくられてゐる所為で、意外にも長寿者の数は近郊随一だよ。それにしても斯んな風に吹きまくられて、九十年も生き度くはないね。」
 K家は近郊屈指の旧家で、特に広大な蜜柑山を所有してゐた裏山の切端には一見幾十とも数知れぬ穴倉が並び、恰度往昔に土蔵の数をもつてその家の資産の程が推定されたと同様に、このあたりではそれらの果物の貯蔵庫の数に依つて分限の程を問はれたさうであつた。穴倉と称しても、石器時代の土穽の趣きとは類を異にして、ある庫の奥は十畳の畳を敷いた広さを持ち、天井や壁も自然木で頑丈に組まれ、囲炉裡もあり、炊事場も備はり、主に従業員の合宿所に使用されたものであつた。トンネル風に組み立てられてゐたから、山崩れその他の災害を蒙つた、験も絶無といふ、単に穴倉などゝいふ言葉から想像する陰気なものではなかつた。
 銑太郎は私と同年の理学士で、土器の採集に長年没頭してゐるばかりで、畜財の観念に世にも恬淡な人物だつた。数年前に大半の蜜柑山を使用人に分配して、多くの貯蔵庫などはあれるに任せてゐるといふことを私は聞いたのである。
「あれだけの庫があれば、何んな大袈裟な石ころを集めても、貯へるには事欠かぬな。」
「いや、この頃ぢや、それにも以前程の熱は持つてゐないがね。」
 銑太…

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