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幽霊の出る宮殿
ゆうれいのでるきゅうでん
作品ID45331
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第六巻」 筑摩書房
2003(平成15)年5月10日
初出「早稲田文學 第三巻第一号」早稲田文學社、1936(昭和11)年1月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-12-09 / 2014-09-21
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 わたしはこの四五年来、少くとも一年のうちに二回以上は、全く天涯の孤独者であるかのやうな、そして深い寧ろ憂ひに閉ぢこめられたやうな姿で独り、登山袋に杖を突いて、遠方の景色にばかり見惚れてゐるかのやうな眼を挙げながら、すたすたとその山峡の村へ赴くのが慣ひである。
 行先の村は、名称を誌したところで無駄に過ぎない程度の寒村で、いつもわたしは家族の者に向つても、出掛けの椽先で、遥かの山脈の一角に雲を含んで達磨型にそびえてゐる禿山の方角を、頤でさし、
「――あそこだよ。」
 と云ふだけであつた。
 何時の場合でも、わたしが如何にも偶然さうに、その出発を決行する間際までは、わたしは、恰度永年の飲酒家や喫煙家が慾望を断念してゐる間のやうに、薄ぼんやりとして、止め度もなく朦朧たる憂鬱を吾ながら弥々持てあました挙句に決つてゐたから、かへつて周囲の者達は厄介な荷を払つたほどのおもひであつた。
「まあ、せいぜい、ゆつくりと落着いて来るが好いよ。用があつたら、手紙で沢山だからね――」
 と母は云つた。
「一日でも長い方が好いよ――誰も心配なんてしやしませんよ。」
 と妻も元気であつた。このまゝわたしが永遠に戻らなかつたら、実に爽々しいといふ風な調子であつた。
 わたしは、小田原の町を、冬ならば山提灯を携えて煙りのやうな息を吐きながら、また夏ならば漸く海からの微風が白みかゝつた雨をかすめて、未だ射手座の星が光つてゐる時刻に、口笛を吹きながら出発した。大略わたしの心懐は無人島を夢見る想ひと同様と称ふべきであつた。わたしは、ケーベル博士の随筆集の中で、若しも自分が海上遥かの孤島へ流される場合には、何んな書物を携帯するであらうか? と自問した中に、ベートーベンの楽譜をあげてゐるのに興趣を覚えた故為か、わたしはメンデルスゾーンやモツアルトのレコードを四五枚画板の中へ入れて肩にかけた。
 車が尽きると馬に乗つた。夏ならば村里の家々にランプが点り、そのまはりに集つた蛾や甲虫類の数々を、わたしは思はず軒下から覗き込んで、あちこちで迂散な奴と怪まれたりしながら、冬ならば馬の背で琴座の星をかぞえながら――だから長くとも短かくとも日はもうとつぷりと暮れた刻限に、森蔭の水車小屋に到着した。
 これは、流れのふちの猫柳の芽がふくらみ、苔蒸した水車小屋の草葺屋根が水の上を絨[#挿絵]のやうに染めてゐる春さきのころを選んでおかう。――扉の隙間から洩れる二三条の光りが、終日の労働を終へて翼をやすめた水車を透して水の上に螺旋状を投げ、馬が四ツ脚を注意深く丸木橋を渡ると、螺旋の縞が光り雨のやうにふるえた。わたしが鞍から降りて手綱を放すと、馬はひとりでとぼ/\と裏側の厩へまはり、鵞鳥の箱につまづいたりした。
 “A gallant knight,
  In sunshine and in shadow,
  Had …

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