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パンアテナイア祭の夢
パンアテナイアさいのゆめ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第四巻」 筑摩書房
2002(平成14)年6月20日
初出「文學時代 第二巻第七号(七月号)」新潮社、1930(昭和5)年7月1日
入力者宮元淳一
校正者砂場清隆
公開 / 更新2008-04-04 / 2016-05-09
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     堤の白明

 野菜を積んだ馬車を駆つて、朝毎に遠い町の市場へ通ふのが若者の仕事だつた。
 村を出はづれると、白い川の堤に沿つて隣りの村に入り、手おし車ならばそのまゝ堤づたひに真ツすぐに、また次の村に入れるのだが、そのあたりから道が急に狭くなつてゐるので、馬車だと迂回して、鎮守の森の裏手から、村宿を通り抜け、鍛冶屋と水車小屋に、朝の挨拶をかけて、橋を渡るのであつた。
「お前の槌の音が聞えると、タイキ(馬)は、きつと脚を速くするぜ。」
「その脚音は此方にもちやんと聞えるわよ。斯んな勤勉家のお前と私とが、万一夫婦になつたら村一番の金持になるだらうね。」
 鍛冶屋の娘と若者は斯んな話を、大声でとり交したことがあつた。
 娘のあんな戯談を若者は、どうかして思ひ出すと屹度悲しくなつた。何故だか若者には好く解りもしなかつたし、また、深く考へて見もしなかつたが――。そして若者は、この頃では、鍛冶屋の前を通る時には、
「お早やう!」
 と叫んで、振り向きもせずに駈け抜けるやうにしてゐた。
 と、屹度、娘も、槌を止めて、何か云つた。――「ヒツプ! ヒツプ!」と、口笛のやうな声をおくることもあつた。
「靴を買つて来てお呉れ! そら、お金よ。」などゝ、駈け寄つて来て、若者の胸先きに財布を投げつけることもあつた。
「オーライ!」
 と、云へることゝ、云へぬことゝがあつた、若者は――。だが、娘からの頼みを忘れたことはない。
 三つの村を通り、二つの橋を渡つた後に漸く若者の馬車は市場のある町に着くのであつた。
 ……夏だと、白い川の堤に差しかゝつた時分に夜が明けるのがならひだつた。屹度、そこで白々と空が明るくなるのが常だつた。そして若者の胸に、娘の映像がはつきりと現れ出すのが例だつた。――白い川の堤を、ゆた/\と進みながら、娘の白い幻をあざやかに空に描くのが、若者の秘やかな悦びだつた。
 曙の薄明りの中で若者は、娘を堅く抱き締めた。
 明方の白い川である。若者は、寝屋の夢でも屡々この堤を見た。御者台に娘と肩を組んで並びながら堤を進んで行く白い夢を、若者は屡々見た。
 いつの頃からか若者は、その川のことを「白い川」と独りぎめに称んでゐた。或日、市場からの帰りに、旅人に村へ行く近道を尋ねられると若者は思はず、
「あの白い川の堤に添つて――」などゝ教へて、不図苦笑を覚えたことなどもある。明方の印象だけが深いので若者には何時もそれは白い川だつたが、その時は快晴の真昼時で水はあたりの新緑を深く映して、一面に青く光つてゐたから――。
 この頃若者は、白い川のあたりから、町に入るまでの間、御者台に首垂れて本を読み続けることにした。タイキは道に好く慣れてゐたし、出遇ふ者のある筈もなかつたから別段手綱を執る要もないのである。馬は間違ひなく、それで、町へ着くのである。若し若者が全くまどろんでゐたと…

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