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ベツコウ蜂
ベッコウばち
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第五巻」 筑摩書房
2002(平成14)年7月20日
初出「行動 第一巻第三号」紀伊国屋出版部、1933(昭和8)年12月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-11-07 / 2014-09-21
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 ひとりのスパルタの旅人が述べてゐた。
「わたしの国では凡ての人が、若しも乱酔者を発見した場合には直ちに彼を捕縛して厳罰に処し、鉄窓のもとにつなぐべき権利を附与されてゐる。更に法律は、犯人に如何なる口実があらうとも裁判に問ふべき余地をも許さず、従令それがデイオニソス酒神の祝祭日であらうとも断じて彼を釈放せしめなかつた。」――と。
 僕は、まことに極りもなく野卑であり、破廉恥なる屋根裏の乱酔者であつた。あれからもう既に六十日にちかい月日が経つて、蝉の声はすつかり止絶えて、わづかばかりの赤トンボと秋型の黄蝶がちらほらとしか飛んでゐない頃となつた。僕が、乱酔者たる自身を、自ら捕縛して、この人里離れたる森蔭の小屋に閉ぢ込めて以来、好くも長い孤独の日々に堪へて来たものとさへ思はるるのだ。僕は、まるで犯罪者のやうに兢々として、出遇ふものゝ眼である限りは蜂や蜻蛉のそれでさへも怕れ戦くほどの怯惰なる心を抱いて逃げて来た。僕は、捕虫網と毒瓶と魔酔薬と展翅板と解剖器と標本箱の類ひを槍や楯のやうに抱へ込み、そして一てうのギターを背中につけて逃げ伸びて来た。君にすらハガキも書かなかつた。どうしてしまつたことであらうと、おそらく君は苦い感に打たれてゐるだらうと推察する。
 僕がこの田舎にたどり着いた時分は、恰も僕の目指す膜翅類の花々しい活躍期であつた。だが僕は自らすゝんで採集の野へ立ち向ふ程の気力も失せて、稍ともすれば森蔭や水ふちの隠花植物のはびこつた日蔭に蹲つて、果てしもない嘆きの身柄を持ち扱ふばかりであつた。梢を見あぐれば有吻類の鳴き声がかまびすしく蝶のヒカゲ、キマダラ、カラスの類ひがひらひらと踊りまはり、見霞すむ稲田の上に眼を放つと蜻蛉の群がさんさんたる陽りに翅を翻して游泳してゐるのだ。まことに僕は、これらの花々しい虫類の活躍を眺めるさへ、悲しい圧迫を強ひられて、稍ともすれば首垂れがちであつた。腕を曲げて、膝の上に眼を閉ぢるばかりであつた。そして、かすかに眼蓋を開くと、あしもとの小川の水は眼ばゆく照り映えて、空のやうに澄んだ水底には、水カマキリやヤゴが物憂気に逼ひまはり、目高が飛び交ひ、アメンボウが水の表面を長い脚で可笑しく歩いてゐるのだ。産卵の発作に駆られた蜻蛉が舞ひ降りて来て、水の上をほいほいと叩く姿が、影を映じて、恰も二個の虫体が、水の上下で囁きを交してゐるかのやうであつた。やはり僕は圧倒されるのだ。自分の考へや、生活の不自然さが罪多く呪はれて、忽ち胸のうちがもくもくと戦いて来るのだ。生きものゝ姿から暫しの間でも眼を転じたいものだ――とは、この節の僕の屡々なる吐息であるのだ。僕が捕虫網を振りまはす心底は、云ひ得べくば、吾と吾が虚無を撓望する無惨な妄想へのための暴挙に他ならぬのだ。
 慌てゝ水際の草の中へ眼を転じ、怕るゝ胸をさすらうとすると、おゝ俺は観た――一個のベツ…

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