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酒盗人
さけぬすっと
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第四巻」 筑摩書房
2002(平成14)年6月20日
初出「文藝春秋 第十巻第二号」文藝春秋社、1932(昭和7)年2月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-02-12 / 2016-05-09
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は、マールの花模様を唐草風に浮彫りにした銀の横笛を吹きずさみながら、
………………
おゝ これはこれ
ノルマンデイの草原から
長蛇船の櫂をそろへて
勇ましく
波を越え また波と闘ひ
月を呪ふ国に到着した
ガスコンの後裔
………………
 と歌つた。
 節々をきざむ私の指先が、花模様の笛に反射する月の光りのうへに魚となつて躍つてゐた。――明る過ぎる月夜の街道であつた。笛を吹く私のシルエツトが、あまりはつきりと地に描かれてゐるので、もう一人の合奏者が私の先に立つて水を渉つてゆくと見られた。月は一体、どのあたりに歩みを停めてゐるのかと私はいぶかふて、なほも切りに笛を吹きながら後ろの空を見あげたが、空はたゞ一面に涯しもなく青白く明るみ渡つてゐるだけで月のありかを指差すことは出来なかつた。さかさまに懸つて空を踏んで行く――私は、空を行く悦びも地を踏む悲しみも知らぬ月の光りの如き涯しもない永遠の夢心地で、おもむろに歩みを速めて行つた。朦々と明るみ渡つた煙りの縞瑪瑙に畳まれた長廊下を――。
 たつた今私は、務め先の魚見櫓の台上から、望遠鏡を伸して村里の様子を眺めて見ると、橋のたもとにある一軒家の私達の居酒屋の前に旺んな焚火の火の手があがつて、その傍らを、拳を振りあげたり、躍りあがつたりしながら、何れが誰やらさだかには識別出来なかつたが、狐に化された連中のやうに烏頂天となつた影法師が次々と酒場の中へ繰り込んで行く模様をみとめたので、こいつは、てつきり、俺達が首を伸して待ち焦れてゐたところの音無村から酒樽の荷が到着したに相違ない……。
「ブラボウ/\!」
 と私は思はず拳を振つて歓呼の叫びを挙げながら、高さ凡そ十余丈もあらうといふ長梯子を、実にもものの見事に滑るが如くに駆け降りたのである。
 いち日に何辺ともなく昇り降りする魚見櫓の梯子であるが、こんなに愉快に駆け降りたことはまつたく珍らしい。その上、サイパンの酒樽が空になつて以来、もう幾月か? 指折り数へて見れば、あれは、たしか十五夜の月見の宴の時であつた。私達の宴会が漸くたけなはにならうとした時に、
「ギヤツ!」
 といふ、たゞならぬ恐怖にふるへた絶望の唸り声が酒場の隅に起つたので、見ると、サイパンの亭主が、片手に樽の呑口を握り、片手にジヨツキをぶらさげたまゝ、悲鳴と一処に昏倒するところであつた。
「お父さん、お父さん……」
 私が奏でる横笛と私の妻君が弾奏する手風琴に伴れて、タンバリンを振り回すメイ子を中心にして酒場の連中がグルリと手をつないでカロルを踊つてゐたところ、父親の唸り声を聞くと、娘は、雉子のやうに人垣を飛び越えて父親にとりすがつた。
 私達は、また大地震が起つたのかしら! と驚いて、それまでの身構へを執り直したが、次の瞬間に、憐れなその源因を発見した。
「どくつ! とひとつ、何とも云ひやうのない不思議な音を…

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