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心象風景(続篇)
しんしょうふうけい(ぞくへん)
作品ID45351
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第五巻」 筑摩書房
2002(平成14)年7月20日
初出「文藝春秋 第十一巻第三号」文藝春秋社、1933(昭和8)年3月、「文藝春秋 第十一巻第六号」文藝春秋社、1933(昭和8)年6月
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-11-16 / 2014-09-21
長さの目安約 65 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 岡といふ彫刻家のモデルを務めて私がそのアトリヱへ通ひ、日が延びる程の遅々たるおもむきで、その等身胸像の原型が造られてゆくありさまを緯となし、その間に巻き起る多様なる人事を経として、そしてその胸像が完成される日までを同時に本篇の完結と目指して、これには凡そ四五十枚の前篇がありますが、それはそれとして、新たに稿をすゝめます。

 大二郎と閑吉が、在らぬ話を何かと意味あり気に私とりら子に就いて、飛んだ目配せのやりとりを交はしたりするので、私はついあかくなり、と云つて、もうりら子と約束をしてしまつた以上、その来訪を待たなければならず、困り果てゝ、ふらふらしてゐると、泉水の鯉を眺めてゐた細君は、いきなりくるりと振り向くや物をも言はずぴしやりと私の頬を力一杯打つた。そして、また凝つと、白い雲が映つてゐる小さな水の上を見詰めてゐた。私は、むしろ小気味の好い痛痒を感じたが、実際の痛さよりも誇張した苦痛の表情を浮べて、
「痛いなあ!」
 と叫んだ。
 すると同時に彼女がもう一辺振り返つたので、私は仰天して跳びのき、そのまゝ裏木戸から逃げ出した。嗤ひに似た大二郎と閑吉の声をうしろに聞いた。私は、今りら子に告げた道筋を逆に駈けて行くと、街角の煙草屋の前で、灰色のボレロを着た無帽の彼女に出会つた。
「来て下すつたの、迎へに?」
「いゝえ……」
 私は慌てゝかぶりを振つたが、未だ別段に左程も親しくもない相手に、然もその人を副主人公として起されたそんな突飛な騒ぎをまさか在りのまゝに吹聴するわけにもゆかず途方に暮れてゐると、何故か彼女は突然噴き出して、
「馬と猫にからかはれたんでせう、解つたわよ、関はないから行きませうよ。」
 左う云つて私の肩に腕を載せた。私は徹底的に落着きを失つてぎよつとしてゐたが、梟といふ仇名に気づいて、胸を熱く炎し、慌てゝ、これから岡のアトリヱへ赴かなければならなかつたことを思ひ出したからといふやうな意味を告げながら反対の方角へ彼女を促した。何時もあれこれと身を持てあまして心の遣場の求められぬかのやうな切端詰つた時に、岡のモデル椅子にうづくまつてぎよろりとしてゐる自分に、凡ゆる胸のうちのエピロオグを仮托して息詰つてゐるが、今はもう一刻も速やかにあの椅子にたどり着いて往生してしまひたかつた。
「それでは妾もアトリヱへ行きますわ、見物に――」
「寒いですよ、とても。――とう/\この冬も壁が塗れずに終ひさうです。」
 私は街中を通るのをいろ/\な理由から困つてゐたので、露路づたひに、町裏を流れてゐる小川のほとりに出た。川のふちを、弓なりに迂回しながら冬枯れの裏山を指して脚速く遡つてゐた。風のない麗らかな日和だつたが、水のふちには氷が光つて、道には霜柱が深かつた。一面に狐色の枯草が蓬々と蔓つてゐるばかりの田甫に出ると見渡す限り一点の動くものゝ影だに認められなかつたが、や…

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