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沼辺より
ぬまべより
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第五巻」 筑摩書房
2002(平成14)年7月20日
初出「新潮 第三十巻第三号」新潮社、1933(昭和8)年3月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-11-21 / 2014-09-21
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 こんな沼には名前などは無いのかと思つてゐたところが、このごろになつてこれが鬼涙沼といふのだといふことを知つた。明るい櫟林にとり囲まれた擂鉢形の底に円く蒼い水を湛へてゐる。やはり噴火口の痕跡なのであらう。
 土筆、ぜんまひ、ツバナ、蕨などの芽がわずかに伸びかかつた沼のほとりの草の上は羽根蒲団のやうで、僕はいつも採集道具を携へて来るのだが、ついぐつすりと寝込んでしまふのだ。例の浮遊生物の実験を続けようとしてゐるのだが、念願とするアミーバが容易に発見し難いので索然としてしまつたのだ。それにやつと此処まで逃げ伸びて来たかと思ふと一途に気力がくぢけてしまつて、本を読む気も起らず鞄を枕にすると貪るやうに眠つてしまふのだ。怖ろしい伯五郎の姿が今にも此処に現はれはしないかと、そのことばかりびくびくして幾度夢の中で悲鳴を挙げて飛び起きるか計り知れやしない。そんな夢で更に疲れてうなされながら眠りつづけるのだ。採集も読書もあつたものぢやない。しばらくの沼のほとりの安息を貪るばかりである。伯五郎と挌闘を演じて沼の中へ投げ込まれる場合や、沼のまはりを競馬のやうに追跡される光景に汗を流しながら、しかし僕はぐつすりと眠りつづけるのだ。
 なにしろ僕等は毎朝三時から四時までの間に飛び起きて息を衝く予猶もなく米搗きの労働に従事するのだから。
 水車小屋の三階の窓から伯五郎の到来を視守つてゐる雪太郎が芋畑の彼方に提灯の灯を認めるがいなや、ラツパを吹いてミヅグルマの閂を切るのだ。すると小屋は轟然たる音響と共に壮烈に震ひ出すのだ。その凄じい音響と云つたら真に耳を聾せんばかりと云はうか地獄の銅鑼と云はうか形容の言葉も見つからぬが、音響と共に小屋全体が物狂ほしく踊り出して、その他の一切の物音を掻き消してしまふのである。トンネルの中を狂奔する列車のやうな雄叫びを挙げて、今にも小屋は木つ葉みぢんに砕けてしまひさうなのだ。この小屋は普通の水車小屋と違つてミヅグルマの大きさに比べて、蝸牛のやうに小さく側面から眺めると車の蔭にそんな家が附着してゐることは気づかれぬ程のものであつた。云はばオランダの風車のやうに、クルマだけがいとも逞しく虚空に向つて翼を伸べてゐた。だから小屋の建築は、クルマの動揺のみに順応して仕組まれてゐた。棚といふものが一切見あたらなかつた。柱だけが一抱へもある程の自然木で組まれて、開け閉ての出来る戸といふものを持たなかつた。眠る時や風雨の場合には窓には板戸をぶらさげる仕組みであつた。波にもてあそばれる箱舟のやうに、専らクルマの力に抵抗せぬ具合に造られてゐた。動揺に任せて震へる限り震へても壊れぬやうに、風に柳の具合であつたから、クルマが廻り出した時の小屋全体は恰も難破船のやうにゆらめき、身震ひをする猛獣のやうな胴震ひを挙げた。
「もう伯五郎がやつて来たのか、それ仕事だ、仕事だ!」
 僕は叫びな…

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