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母を尋ねて三千里
ははをたずねてさんぜんり
作品ID45381
原題DAGLI APPENNINI ALLE ANDE
著者アミーチス エドモンド・デ
翻訳者日本童話研究会
文字遣い新字新仮名
底本 「家なき子」 九段書房
1927(昭和2)年10月15日
入力者京都大学電子テクスト研究会入力班
校正者京都大学電子テクスト研究会校正班
公開 / 更新2005-07-26 / 2014-09-18
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      一
 もう何年か前、ジェノアの少年で十三になる男の子が、ジェノアからアメリカまでただ一人で母をたずねて行きました。
 母親は二年前にアルゼンチンの首府ブエーノスアイレスへ行ったのですが、それは一家がいろいろな不幸にあって、すっかり貧乏になり、たくさんなお金を払わねばならなかったので母は今一度お金持の家に奉公してお金をもうけ一家が暮せるようにしたいがためでありました。
 このあわれな母親は十八歳になる子と十一歳になる子とをおいて出かけたのでした。
 船は無事で海の上を走りました。
 母親はブエーノスアイレスにつくとすぐに夫の兄弟にあたる人の世話でその土地の立派な人の家に働くことになりました。
 母親は月に八十リラずつ[#「ずつ」は底本では「ブフ」]もうけましたが自分は少しも使わないで、三月ごとにたまったお金を故郷へ送りました。
 父親も心の正しい人でしたから一生懸命に働いてよい評判をうけるようになりました。父親のただ一つのなぐさめは母親が早くかえってくるのをまつことでした。母親がいない家はまるでからっぽのようにさびしいものでした。ことに小さい方の子は母を慕って毎日泣いていました。
 月日は早くもたって一年はすぎました。母親の方からは、身体の工合が少しよくないというみじかい手紙がきたきり、何のたよりもなくなってしまいました。
 父親は大変心配して兄弟の所へ二度も手紙を出しましたが何の返事もありませんでした。
 そこでイタリイの領事館からたずねてもらいましたが、三月ほどたってから「新聞にも広告してずいぶんたずねましたが見あたりません。」といってきました。
 それから幾月かたちました。何のたよりもありません。父親と二人の子供は心配でなりませんでした。わけても小さい方の子は父親にだきついて「お母さんは、お母さんは、」といっていました。
 父親は自分がアメリカへいって妻をさがしてこようかと考えました。けれども父親は働かねばなりませんでした。一番年上の子も今ではだんだん働いて手助をしてくれるので、一家にとっては、はなすわけにはゆきませんでした。
 親子は毎日悲しい言葉をくりかえしていると、ある晩、小さい子のマルコが、
「お父さん僕をアメリカへやって下さい。おかあさんをたずねてきますから。」
 と元気のよい声でいいました。
 父親は悲しそうに、頭をふって何の返事もしませんでした、父親は心の中で、「どうして小さい子供を一人で一月もかかるアメリカへやることが出来よう。大人でさえなかなか行けないのに。」と思ったからでした。
 けれどもマルコはどうしてもききませんでした。その日も、その次の日も、毎日毎日、父親にすがりついてたのみました。
「どうしてもやって下さい。外の人だって行ったじゃありませんか。一ぺんそこへゆきさえすれば[#「すれば」は底本では「すれぼ」]おじさんの…

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