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山彦の街
やまびこのまち
作品ID45404
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第三巻」 筑摩書房
2002(平成14)年5月20日
初出「文藝春秋 第七巻第六号」文藝春秋社、1929(昭和4)年6月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-09-05 / 2014-09-21
長さの目安約 34 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 哄笑の声が一勢に挙つたかと思ふと、罵り合ひが始まつてゐる――鳥のやうな声で絶叫する者がある、女の悲鳴が耳をつんざくばかりに聞えたかと思ふと、男の楽し気な合唱が始まつてゐる――殴れ! とか、つまみ出してしまへ! とか、そんな凄まじい声がして、
「あゝ、痛いツ!」
「御免だ……」
「救けて呉れ!」
 そんな悲鳴が挙つたりするので、これは容易ならぬ事件が起つたのか! と思つて誰しもちよいと立止つて様子を窺つたが、同時に軽い苦笑を浮べて行き過ぎてしまふのであつた。
 哄笑する、罵倒する、絶叫する! ――が、いづれも遊興の渦巻なのである。――だから、恰も喧嘩のやうな騒ぎに驚いて、ちよいと立ち止つて見ると、そんな騒ぎを他所に、卓子から卓子へ愛嬌を振り撒いてゐる踊り子のタンバリンの鈴の音も聞えるし、陰気な街上詩人が物思ひに耽りながら弾いてゐるらしいギターの眠む気な音も聞える。
 酔つ払ひ共が、ふざけ散らしてゐる騒ぎなのだ。
 それにしても、不思議な騒がしさを持ち続けてゐる酒場である。朝も昼も真夜中も差別がない。
「おい/\、イダーリアの親爺さん、そんなふくれツ面ばかりを売物にしないで稀には俺達と一処になつて下院議員の改善策でも謀らないかね。」
「あの親爺にそんな気の利いた策略なんて――これはどうも失礼、気の利いた策略、大いにあり、吾々のとは大分趣きが違ふといふ奴さ……」
 片々だから解りもしないが、そんな風に他人を嘲弄してゐる見たいな会話が、厭に面白さうに聞えもした。
「親爺の Day-dream が、いざ実現したあかつきには吾々は斯うした地上の法悦を味ふことが出来なくなるかも知れないね。」
「ともかく、彼奴は、有り難い筈の吾々客人に対して、永遠の呪ひ! を持つてゐるといふんだから凄まぢいものだな。」
「Hurrah! Hurrah! 吾等に呪ひを持つイデーリア親爺に祝福あれ!」
「吾等の Day-dreamer が、吾等に対して、第二の反逆を発表したら――」
「いや、吾々がそれを発見して……」
「そいつを一番逆用して俺達の祝祭上のロマノオルム(行事)に加へて、吾等の市の栄ゆる日の限り……」
「叱ツ! 叱ツ! イダーリアのドングリ眼が真に憾めしさうに光つたぞ!」
「サタンよ、そこを退け! とでも呟いてゐるらしいぜ。」
 ……「踊れ、踊れ! シツダル、生れ故郷のことなんか思ひ出してぼんやりしてゐると、酒の売れ行きに関はるぞ!」
「シツダルは、フローレンスから来てゐる若い学生と好い仲だといふ噂を俺は聞いたが、ほんとうか知ら!」
「シツダル、白状しないと拷問にかけるぞ。」
「その噂は案外ほんとうかも知れないぜ。あの娘が此頃ランプ祭の恋歌を歌ふ時の眼つきに諸君よ、注意して見給へ!」
「ロールツヒとかといふビユウカナン一派のへつぽこ詩人などが作つた恋歌をシツダルに歌はせるの…

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