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貧しき日録
まずしきにちろく
作品ID45408
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第二巻」 筑摩書房
2002(平成14)年3月24日
初出「新潮 第四十二巻第五号」新潮社、1925(大正14)年5月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-06-20 / 2014-09-21
長さの目安約 40 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 こゝは首都の郊外である。
 タキノが、突然――(といふのはタキノ自身にとつて、そして一年程前に、これも突然主人を亡くして、こゝから二十里あまり離れてゐる海辺の寒村に彼のたつたひとりの小さな弟と二人で佗しく暮してゐたタキノの母親にとつての副詞に過ぎないことを断つて置かう。彼女は、その長男であるタキノの帰郷を予期してゐたのだ。タキノ自身も、こゝに移る二日前までは、そのつもりだつた。古き世から伝はる所謂「帰れる蕩児」になることに、反つて安易を感じてゐたのである。……が、それがどうして斯うなつたかの説明は省くつもりだ。こゝでは一寸この副詞の範囲を明らかにして置きたかつたまでのことだ。)――と、細君と一幼児と、荷物自働車一台とで、二三ヶ月住んだ芝・高輪から移つて来て、もう三十日あまり経つたのである。
 春になつてゐたが、まだ寒かつた。タキノは、こゝに来て以来、一日に一度宛入浴に出かける以外、土を踏むことはなかつた。昼、十二時過ぎに眼を醒し、ぽかんとして、またうとうとゝ相当快く眠り、しばらくたつて寝床から這ひ出し、湯に出かけ、さつぱりして帰つて来ると、灯りが点いてゐて、夕餉の膳に向ふ、より他に何もなかつた。想ふこともなく、事件もなく、日々は左様に、奏楽に適さない玩具の笛ですら三つ位ひの音色はもつてゐる、土細工の鳩笛の音は単調ではあるが一脈の哀音をもつてゐる、が彼の胸にも頭にも喉にも何の響きはなかつた。これで彼は、さまで倦怠を感じてゐるわけでもなく、別段深刻な憂鬱を宿してゐるわけでもなく、といふて勿論愉快でもなく、云はゞ、朝何時に起き出て、夕べは十分おきに到着する電車でも毎夕必ず同じ電車で帰り、夕餉を済すと間もなく高鼾きで眠つてしまふ……あまり位ゐの好くない呑気な道具のやうな勤人と大差はないのである。
 一度、弟の代筆で寒村の母から、近火を見舞ふ手紙を貰つた。まだ彼のところには新聞が配達されてゐなかつたので、その手紙で初めて市外・日暮里に大火があつたことを知つた。彼は、そこに友達があるので、細君に命じて新聞を買はせにやつた。細君は、電車に乗つて何処とかまで行つて漸く四五日分の新聞を集めて帰つて来た。大火は、友達の家とは方面違ひだつた。日暮里といふのは、仮りに首都を円とすれば、彼の此処が、円の中心をよぎる直線の一端で、他の一端が其処なのである。母は、同じ市外である為に、其処も此処も近処と思つたのである。……彼の幼時、彼の父がアメリカ・ボストンにゐた頃、アメリカ・サンフランシスコに大地震が起つたことが日本の新聞に報ぜられた。その時のことを彼は、二十何年後の今でも好く覚えてゐる。彼は、その時の無智な祖父母を、今でも笑ふことは出来ない。縁側の日向で(時候は忘れたが、何だか冬のやうな気がする)、新聞を眺めてゐた祖父が、
「ヤツ!」と、叫んだ。常々祖父は、安政の地震の怖しさを語つた…

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