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小川の流れ
おがわのながれ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第三巻」 筑摩書房
2002(平成14)年5月20日
初出「文藝春秋 第六巻第九号」文藝春秋社、1928(昭和3)年9月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-08-26 / 2014-09-21
長さの目安約 48 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 或日彼は、過去の作品を一まとめにして、書物にすることで、読みはじめると、大変に情けなくなつて、恥で、火になつた。――身も世もなき思ひであつた。
 就中、純吉といふ主人公が出て来る幾つかの作品では、堕落を感じて、居たゝまれなかつた。「純吉」が、他人をモデルにしたものでもなく、架空の人物でもなく、読む者に作者自身であるかのやうな概念を与へるのみか、作家自身の態度が充分そのやうな心組の許に、悪る騒がしいタツチで筆をふるつてゐるのが彼は、堪らなかつた。――彼にとつては、その作者である己れが、読者である己れに対してあまりな冒涜家であつた。
「純吉の小説」には屡々Y子といふ娘が現れた。純吉はY子に秘かな恋を感じてゐた。事毎にそれが裏切られてゐた。性格に強さを持たない純吉は、口の利き振りまでが常の純吉ではなしに、悉くY子の悪趣味におもねつてゐた。
 事実では決してそんな筈はなかつたのであるが、その頃の心の象を創作にして見たならば、そんな風にY子が自分の心に喰ひ入つてゐたのかしら? ――彼は斯うも思つて見たが、それもあまりに空々しかつた。そんなことを創作の上で想像した当時の自分さへ、彼は解らなかつた。
 ……何よりも彼に、破廉恥を感ぜさせるのは、小説上の事件ではなしに、事実ではあのやうに淡白であつたにも関はらず、Y子に対する純吉の態度がフールのやうな挙動であることだつた。ヘラヘラと冗談口を叩き、皮肉を衒ひ、狡さを戦はせ、そして得体の知れぬ悦に入つてゐるかのやうである。
 彼にも、恋の思ひ出はある。いつ思ひ出しても澄んだ涙を誘はれるかのやうな、切なく甘い思ひ出がある。恋ではなくても、人の純情は、そのまゝ何時までも消さずに残してゐられる自信を彼は持つてゐる。――だが、Y子の純吉(斯う云つていゝ)に依つて架空された彼は、
「Y子の悪影響だつたのかしら?」斯うも考へたが彼は、それほど呪はれた弱さがあるとは思へなかつた。――だが、あんな風なことを書いたといふことは事実である、Y子に恋してゐるかのやうな………。
「嘘だ! 嘘だ!」
「では、退屈のあまり法螺を書いたのか?」
 それは、また、何んな場合にも彼には信じられないことである。彼は、何んな場合にも「道楽」は出来得ない人間であつた。彼は、一時は「戯れ」と思つたことも、反省して見ると悉く一途な情熱の変形であつたことに気づいて、常に息窒つた。――彼は、恋愛を(人生至上のものと思つたことはないが――)偶像視してゐる者であつた。恋愛の為の痴愚と云はるべきものを聖なるものと信じてゐた。彼には、結婚を忘れた恋のある筈がなかつた。同時に、妻帯者の「恋」は悉く汚れで、唾棄すべき戯れで女性に対する怖ろしい悪徳で、単なる、軽蔑すべき道楽に過ぎなかつた。彼等は、莫大な物資を携えての上で、遊里へ赴くの他、婦女に対して戯れの心を持つことは許されなかつ…

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