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悪筆
あくひつ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第二巻」 筑摩書房
2002(平成14)年3月24日
初出「新潮 第二十三巻第一号」新潮社、1926(大正15)年1月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-03-26 / 2014-09-21
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 縁側の敷居には硝子戸がはまつてゐる。
 あたり前の家と同じく勿論これは昼間だけの要で、夜になれば外側に雨戸が引かれるのだと私は、はじめ思つてゐたのだつたが、それが、これ一枚で雨戸兼帯だつた。――夜になると、この内側には幕を降ろさなければならなかつた。
 八畳、四畳半、玄関三畳――間数はこの三間で、家の形ちは正長方形である。私は、この家の主人となつていつも八畳の何一つ装飾のない床の間の脇に坐つてゐた。この北側にも一間幅の窓があつて、此処も昼夜兼帯の硝子戸一枚だつた。だがこれは擦硝子なので、未だ幕を取りつけてはなかつたが、今では夜になると氷を背負つてゐるやうな感があつた。それに、どうも見た処が雨戸代りにはなりさうもない体裁だつた。
「こんなにまでしても体裁の方が大切なのかな。浅猿しい気がする。ボロでも安普請でも関はないが、斯んな見せかけは閉口だ。」と、私は、時々顔を蹙めて呟いだ。秋が冬に変るに従つて私は、それを頻々と繰り返すやうになつた。――冬になると私は、大概の日は歯が陶器のやうに浮いて、中でも擦硝子を見ると膚に粟が生ずるのであつた。歯質が幼時から悪く今では三分の二は義歯を入れてゐたし、いつも喫煙過度で舌がザラザラとしてゐた。冬の乾いた日が来ると私は、いつも口中に砂を含んでゐるやうな気持で、冷たく乾いたものを見ると直ぐに苛々させられた。普段それだけは手まめである髯剃りさへ、余程温かな湿り気のある日でもないと手が出なかつた。――これまでもの冬私は、そんな日には部屋を閉めきつて膚に汗を覚ゆる程盛んに湯気をたてゝ、そして吸入器の前で口をあけ通しにしてゐるやうなことが多かつた。
 春の初めに、話だけを聞いて見もせずにいきなり其処に移つて来てから、私達は今この儘此処で初めての冬を越さうとしてゐるのであつた。
「この辺のこれ位ひの貸家は、大概斯んな風ですよ。」と、妻は何の不服もないらしく云つてゐた。
「――誰が始めは考へたんだらう! つまり、便利なこんな昼夜兼帯の雨戸なんて!」
 私は、背に擦硝子を思つたゞけでゾクゾクとしながら、凝つと怺えて前の方の葉の落ちきつた痩せた木々が冬らしい白い空にくつきりと伸びてゐる姿を静かに見あげてゐた。――幸ひに毎日、風のない麗かな日が好く続いてゐたが、私の砂を口に含んでゐるやうな苛々病はもうそろ/\起りかけてゐた。これが最少し嵩じると私は、稀に散歩に出かけても瀬戸物屋の前が通り憎くなるのであつた。
 何処の家でも、もうとうに冬のカーテンを懸けてゐる。斯んなに鼠色に汚れた白い布などを引いてゐる家は一軒だつて見あたらない、これからは昼間でも寒い曇り日などには幕を掛けなければならないのだ、厚味のある重さうな何々色のカーテンをあたりに引き廻らせれば温かく落つく、硝子戸一枚だつて決して心配はいらない――と、いふやうなことを彼女は幾度も説明したが、…

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