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愛読した本と作家から
あいどくしたほんとさっかから
作品ID45439
著者黒島 伝治
文字遣い新字新仮名
底本 「黒島傳治全集 第三巻」 筑摩書房
1970(昭和45)年8月30日
入力者Nana ohbe
校正者林幸雄
公開 / 更新2009-07-05 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 いろ/\なものを読んで忘れ、また、読んで忘れ、しょっちゅう、それを繰りかえして、自分の身についたものは、その中の、何十分の一にしかあたらない。僕はそんな気がしている。がそれは当然らしい。中には、毒になるものがあるし、また、毒にも薬にもならない、なんにも、役立たないものもある。
 空腹のとき、肉や刺身を食うと、それが直ちに、自分の血となり肉となるような感じがする。読んでそういう感じを覚える作家や、本は滅多にないものだ。
 僕にとって、トルストイが肥料だった。が、トルストイは、あまりに豊富すぎる肥料で、かえってあぶないようだ。あまりに慾張って、肥料を吸収しすぎた麦は、実らないさきに、青いまゝ倒れて、腐ってしまう。そのように、トルストイという肥料から、あまり慾張ってそれを吸収しすぎると、こっちが、肥料負けがしてあぶない。
 僕は、「三つの死」のみず/\しい、詩に、引きつけられた。「アンナ・カレニナ」「復活」などよりも、「戦争と平和」が好きだ。戦争を書いた最もいゝものは、「セバストポール」だ。「セバストポール」に書かれた戦争は、「戦争と平和」にかゝれた戦争よりも、真実味の程度に於て、純粋で、はるかにしのいでいる。トルストイのような古今無双の天才でも、自分が実際行ったセバストポールと、想像と調査が書いた「戦争と平和」に於ける戦争とには、段がついている。
「セバストポール」には、本当にその場に行き合わしたものでなければ出せないものがある。それが吾々を打つ。
 メリメは、水のように冷たい。そして、カッチリ纒りすぎる位いまとまっている。常に原始的な切ったり、はったり、殺し合いをやったりする、ロマンティックなことばかりを書いている。どんなことでも、かまわずにさっさと書いて行く、冷たい態度が僕はすきだった。燐光を放っている。短篇を書くならメリメのような短篇を書きたい、よく、そう思った。
 ゴーゴリと、モリエール、は、あるときは、トルストイ以上に好きだった。喜劇を書いても、諷刺文学を書いても、それで、人をおかしがらせたり、面白がらせたりする意図で書くのでは、下らない。悲劇になる、痛切な、身を以て苦るしんだ、そのことを喜劇として表現し、諷刺文学として表現して、始めて、価値がある。殊に、モリエールの晩年の「タルチーフ」や、「厭人家」などは、喜劇と云っていゝか、悲劇と云っていゝか分らないものだ。それだけに、打たれる度も深く強い。
 ゴーゴリや、モリエールの持っていた冷かな情熱と憎悪を以て、今のブルジョアをバクロする喜劇を書いたら、それが一番効果があると云い度い位いだ。僕等の前には、ゴーゴリや、モリエールによって取扱わるべき材料がうようよしている。
 今は小説を書くために、小説を書いている人間はいくらでもいるが、本当に、ペンをとってブルジョアを叩きつぶす意気を持ってかゝっている者は、五…

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