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異国食餌抄
いこくしょくじしょう
作品ID4546
著者岡本 かの子
文字遣い新字新仮名
底本 「愛よ、愛」 パサージュ叢書、メタローグ
1999(平成11)年5月8日
入力者門田裕志
校正者土屋隆
公開 / 更新2004-04-26 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 夕食前の小半時、巴里のキャフェのテラスは特別に混雑する。一日の仕事が一段落ついて、今少しすれば食欲三昧の時が来る。それまでに心身の緊張をほぐし、徐ろに食欲に呼びかける時間なのだ。どのテーブルにもアペリチーフの杯を前にした男女が仲間とお喋りするか、煙草の煙を輪に吹きながら往来を眺めたりしている。フランス人特有の身振の多い饒舌の中にも、この時許りはどこかに長閑さがある。アペリチーフは食欲を呼び覚ます酒――男は大抵エメラルド・グリーンのペルノーを、女は真紅のベルモットを好む。新鮮な色彩が眼に、芳醇な香が鼻に、ほろ苦い味が舌に孰れも魅力を恣にする。
 午後七時になるとレストラントの扉が一斉に開く。誰が決めたか知らない食道法律が、この時までフランス人の胃腑に休息を命じている。
 フランス人は世界中で一番食べ意地の張った国民である。一日の中で食事の時間を何より大切な時間と考えている。傍で見ていると、何とも云えず幸福そうに見える。それは味覚の世界に陶酔している姿に見える。恐らく大革命の騒ぎの最中でも、世界大戦の混乱と動揺の中でも、食事の時だけはこういう態度を持ち続けたであろう。
 巴里のレストラントを一軒一軒食べ歩くなら、半生かかっても全部廻れないと人は云っている。いくらか誇張的な言葉かとも聞えるが、或は本当かも知れない。日本では震災後、東京に飲食店が夥しく殖えたが、それは飲食店開業が一番手早くて、どうにかやって行けるからだと聞いた。然し巴里のレストラントの数は東京の比ではない。それは東京に於けるような経済的理由からではなくて、もっと他に深い理由がありはしないだろうか。兎に角中流以下のレストラントには必ず何人かの常客がいて、毎日同じテーブルに同時間に同じ顔を見ることが出来る。私のような外国人でも二三日続けて行くと「あなたのナプキンを決めましょうか」と聞く。ナプキンを決めておけば食事毎にその洗濯代として二十五サンチームぐらいの小銭を支払わなくても済むからである。
 ルクサンブルグ公園にある上院の正門の筋向いにあって、議場の討論に胃腑を空にした上院議員の連中が自動車に乗る面倒もなく直ぐ駈けつけることの出来るレストラン・フォワイヨ、マデレンのくろずんだ巨大な寺院を背景として一日中自動車の洪水が渦巻いているプラス・ド・マデレンの一隅にクラシックな品位を保って慎ましく存在するレストラン・ラルウ、そこから程遠くないグラン・ブールヴァルの裏にある魚料理で名を売っているレストラン・プルニエール、セーヌ河を距ててノートルダムの尖塔の見える鴨料理のツールダルジャン等一流の料理屋から、テーブルの脚が妙にガタつき縁のかけたちぐはぐの皿に曲ったフォークで一食五フラン(約四十銭)ぐらいの安料理を食べさせる場末のレストラントまで数えたてたら、巴里のレストラントは一体何千軒あるか判らない。
 牛の脊髄…

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