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漂泊
ひょうはく
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「石川啄木全集 第三巻 小説」 筑摩書房
1978(昭和53)年10月25日
初出(一)「紅苜蓿」1907(明治40)年7月号
入力者Nana ohbe
校正者林幸雄
公開 / 更新2008-08-20 / 2014-09-21
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     一

 曇ツた日だ。
 立待崎から汐首の岬まで、諸手を拡げて海を抱いた七里の砂浜には、荒々しい磯の香りが、何憚らず北国の強い空気に漲ツて居る。空一面に渋い顔を開いて、遙かに遙かに地球の表面を圧して居る灰色の雲の下には、圧せられてたまるものかと云はぬ許りに、劫初の儘の碧海が、底知れぬ胸の動揺の浪をあげて居る。右も左も見る限り、塩を含んだ荒砂は、冷たい浪の洗ふに委せて、此処は拾ふべき貝殻のあるでもなければ、もとより貝拾ふ少女子が、素足に絡む赤の裳の艶立つ姿は見る由もない。夜半の満潮に打上げられた海藻の、重く湿ツた死骸が処々に散らばツて、さも力無げに逶[#挿絵]つて居る許り。
 時は今五月の半ば。五月といへば、此処北海の浦々でさへ、日は暖かに、風も柔らいで、降る雨は春の雨、濡れて喜ぶ燕の歌は聞えずとも、梅桃桜ひと時に、花を被かぬ枝もなく、家に居る人も、晴衣して花の下ゆく子も、おしなべて老も若きも、花の香に酔ひ、人の香に酔ひ、酔心地おぼえぬは無いといふ、天が下の楽しい月と相場が定ツて居るのに、さりとは恁うした日もあるものかと、怪まれる許りな此荒磯の寂寞を、寄せては寄する白浪の、魂の台までも揺がしさうな響きのみが、絶間もなく破ツて居る。函館に来て、林なす港の船の檣を見、店美しい街々の賑ひを見ただけの人は、いかに裏浜とはいひ乍ら、大森浜の人気無さの恁許りであらうとは、よも想ふまい。ものの五町とも距たらぬのだが、齷齪と糧を争ふ十万の市民の、我を忘れた血声の喧囂さへ、浪の響に消されてか、敢て此処までは伝はツて来ぬ。――これ然し、怪むべきでないかも知れぬ、自然の大なる声に呑まれてゆく人の声の果敢なさを思へば。
 浪打際に三人の男が居る。男共の背後には、腐れた象の皮を被ツた様な、傾斜の緩い砂山が、恰も「俺が生きて居るか、死んで居るか、誰も知るまい、俺も知らぬ。」と云ふ様に、唯無感覚に横はツて居る。無感覚に投げ出した砂山の足を、浪は白歯をむいて撓まず噛んで居る。幾何噛まれても、砂山は痛いとも云はぬ、動きもせぬ。痛いとも云はず、動きもせぬが、浪は矢張根気よく撓まず噛んで懸る。太初から「生命」を知らぬ砂山と、無窮に醒めて眠らぬ潮騒の海との間に、三人の――生れたり死んだりする三人の男が居る。インバネスを着て、薄鼠色の中折を左の手に持ツて、螽の如く蹲んで居る男と、大分埃を吸ツた古洋服の釦は皆脱して、蟇の如く胡坐をかいた男とは、少し間を隔てて、共に海に向ツて居る。褶くちやになツた大島染の袷を着た、モ一人の男は、両手を枕に、足は海の方へ投げ出して、不作法にも二人の中央に仰向になツて臥て居る。
 千里万里の沖から吹いて来て、この、扮装も違へば姿態も違ふ三人を、皆一様に吹きつける海の風には、色もなければ、心もない。風は風で、勝手に吹く。人間は人間で、勝手なことを考へる。同じ人間で、風に…

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