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巴里の秋
パリのあき
作品ID4547
著者岡本 かの子
文字遣い新字新仮名
底本 「愛よ、愛」 パサージュ叢書、メタローグ
1999(平成11)年5月8日
初出「週刊朝日」1933(昭和8)年10月15日号
入力者門田裕志
校正者土屋隆
公開 / 更新2004-04-27 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 セーヌの河波の上かわが、白ちゃけて来る。風が、うすら冷たくそのうえを上走り始める。中の島の岸杭がちょっと虫ばんだように腐ったところへ渡り鳥のふんらしい斑がぽっつり光る。柳が、気ぜわしそうにそのくせ淋しく揺れる。橋が、夏とは違ってもっとよそよそしく乾くと、靴より、日本のひより下駄をはいて歩く音の方がふさわしい感じである。巴里に秋が来たのだ。いつ来たのだろう、夏との袂別をいつしたとも見えないのに秋をひそかに巴里は迎えいれて、むしろ人達を惑わせる。そうなると、街路樹の葉が枯葉となって女や男の冬着の帽や服の肩へ落ち重なるのも間のない事だ。
 ハンチングを横っちょにかむり、何か腹掛けのようなものを胸に当てたアイスクリーム屋のイタリー人が、いつか焼栗売りに変っている。とある街角などでばたばたと火を煽ぎながら、
 ――は、いらはい、いらはい、早いこと! 早いこと! アイスクリームの寒帯から早く焼栗屋の熱帯へ……は、いらはい、いらはい。
 空には今日も浮雲が四抹、五抹。そして流行着のマネキンを乗せたロンドン通いの飛行機が悠長に飛んで行く。
 ――いよいよね。今月一ぱいで店を畳んで、はあ、ツール在の土となるまでの巣を見つけて買い取りましたよ。巴里にも三十年、まあ三十年もまめに働けばもう、楽に穴にもぐって行く時節が来たというものですよ。
 パッシー通りで夫婦揃って食料品店で働き抜いた五十五、六の男の自然に枯れた声も秋風のなかにふさわしい。男は小金を貯めた。多くの巴里人のならわし通りこの男も老後を七、八十里巴里から離れた田舎へ恰好な家を見付けて買取り、コックに一人の女中ぐらい置いて夫婦の後年を閑居しようという人達だ。
 ――店の跡を譲った人も素性はよし(もちろん売り渡したのだが)安心して引込めますよ。この秋は邸のまわりの栗の樹からうんと実もとれますし、来秋から邸についた葡萄畑で素敵な新酒を造りますよ。どうぞおひまを見てお訪ね下さい。
 相手になっているのは、これも勤勉な隣街の大きな靴店のおやじだ。
 ひるひとときはひっそりとする巴里。ひるのひとときが夜のひそけさになる巴里。秋は殊さらひそかになる昼だ。
 何処か寂然として、瓢逸な街路便所や古塀の壁面にいつ誰が貼って行ったともしれないフラテリニ兄弟の喜劇座のビラなどが、少し捲れたビラじりを風に動かしていたりする。
 ブーロウニュの森の一処をそっくり運んで来たようなショーウインドウを見る。枯れてまでどこ迄もデリカを失わない木の葉のなかへ、スマートな男女散策の人形を置いたりしている。オペラ通りなどで、そんなデリカなショーウインドウとは似てもつかないけばけばしいアメリカの金持ち女などが停ち止って覗いているのなどたまたま眼につく。キャフェのテラスに並んでうそ寒く肩をしぼめながら誂えたコーヒの色は一きわきめこまかに濃く色が沈んで、唇に当るグ…

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