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二筋の血
ふたすじのち
作品ID45470
著者石川 啄木
文字遣い新字旧仮名
底本 「石川啄木全集 第三巻 小説」 筑摩書房
1978(昭和53)年10月25日
入力者Nana ohbe
校正者川山隆
公開 / 更新2008-07-30 / 2016-04-26
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 夢の様な幼少の時の追憶、喜びも悲みも罪のない事許り、それからそれと朧気に続いて、今になつては、皆、仄かな哀感の霞を隔てゝ麗かな子供芝居でも見る様に懐かしいのであるが、其中で、十五六年後の今日でも猶、鮮やかに私の目に残つてゐる事が二つある。
 何方が先で、何方が後だつたのか、明瞭とは思出し難い。が私は六歳で村の小学校に上つて、二年生から三年生に進む大試験に、私の半生に唯一度の落第をした。其落第の時に藤野さんがゐたのだから、一つは慥か二度目の二年生の八歳の年、夏休み中の出来事と憶えてゐる。も一つも、暑い盛りの事であつたから、矢張其頃の事であつたらう。
 今では文部省令が厳しくて、学齢前の子供を入学させる様な事は全く無いのであるが、私の幼かつた頃は、片田舎の事でもあり、左程面倒な手続も要らなかつた様である。でも数へ年で僅か六歳の、然も私の様に[#挿絵]弱い者の入学るのは、余り例のない事であつた。それは詰り、平生私の遊び仲間であつた一歳二歳年長の子供等が、五人も七人も一度に学校に上つて了つて、淋しくて/\耐らぬ所から、毎日の様に好人物の父に強請つた為なので、初めの間こそお前はまだ余り小いからと禁めてゐたが、根が悪い事ぢや無し、父も内心には喜んだと見えて、到頭或日学校の高島先生に願つて呉れて、翌日からは私も、二枚折の紙石盤やら硯やら石筆やらを買つて貰つて、諸友と一緒に学校に行く事になつた。されば私の入学は、同じ級の者より一ヶ月も後の事であつた。父は珍らしい学問好で、用のない冬の晩などは、字が見えぬ程煤びきつて、表紙の襤褸になつた孝経やら十八史略の端本やらを持つて、茶話ながらに高島先生に教はりに行く事などもあつたものだ。
 其頃父は三十五六、田舎には稀な程晩婚であつた所為でもあらうか、私には兄も姉も、妹もなくて唯一粒種、剛い言葉一つ懸けられずに育つた為めか背丈だけは普通であつたけれども、ひよろ/\と痩せ細つてゐて、随分近所の子供等と一緒に、裸足で戸外の遊戯もやるにかゝはらず、怎したものか顔が蒼白く、駆競でも相撲でも私に敗ける者は一人も無かつた。随つて、さうして遊んでゐながらも、時として密り一人で家に帰る事もあつたが、学校に上つてからも其性癖が変らず、楽書をしたり、木柵を潜り抜けたりして先生に叱られる事は人並であつたけれど、兎角卑屈で、寡言で、黒板に書いた字を読めなどと言はれると、直ぐ赤くなつて、俯いて、返事もせず石の如く堅くなつたものだ。自分から進んで学校に入れて貰つたに拘らず、私は遂学科に興味を有てなかつた。加之時には昼休に家へ帰つた儘、人知れず裏の物置に隠れてゐて、午後の課業を休む事さへあつた。病身の母は、何日か私の頭を撫でながら、此児も少し他の子供等と喧嘩でもして呉れる様になれば可いと言つた事がある。私は何とも言はなかつたが、腹の中では、喧嘩すれば俺が敗けるもの…

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