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平造とお鶴
へいぞうとおつる
作品ID45511
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「蜘蛛の夢」 光文社文庫、光文社
1990(平成2)年4月20日
初出「文藝講談」1927(昭和2)年1月
入力者小林繁雄、門田裕志
校正者花田泰治郎
公開 / 更新2006-06-25 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 N君は語る。

 明治四年の冬ごろから深川富岡門前の裏長屋にひとつの問題が起った。それは去年の春から長屋の一軒を借りて、ほとんど居喰い同様に暮らしていた親子の女が、表通りの小さい荒物屋の店をゆずり受けて、自分たちが商売をはじめることになったというのである。
 母はおすまといって、四十歳前後である。娘はお鶴といって、十八、九である。その人柄や言葉づかいや、すべての事から想像して、かれらがここらの裏家に住むべく育てられた人たちでないことは誰にも覚られた。
「あれでも士族さんだよ。」と近所の者はささやいていた。
 かれらは自分たちの素姓をつつんで洩らさなかったが、この時代にはこういう人びとの姿が到るところに見いだされて、零落した士族――それは誰の胸にも浮かぶことであった。女ふたりが幾ら約しく暮らしていても、居喰いでは長く続こう筈もない。今のうちに早く相当の婿でも取るか、娘の容貌のいいのを幸いに相当の旦那でも見つけるか、なんとかしたらよかろうにと、蔭では余計な気を揉むものがあったが、痩せても枯れても相手が士族さんであるから、うかつなことも言われないという遠慮もあって、周囲の人たちも唯いたずらにかれらの運命を眺めているばかりであった。
 それがこの七、八月ごろからだんだん工面が好くなったらしく、母も娘も秋から冬にかけて、新しい袷や綿入れをこしらえたのを、眼のはやい者がたちまち見つけ出して、それからそれへと吹聴した。それだけでも井戸端のうわさを作るには十分の材料であるのに、その親子がさらに表通りへ乗出して、たとい小さい店ながら、荒物屋の商売をはじめるというのであるから、問題がいよいよ大きくなったのも無理はなかった。
 しかし一方からいえば、それはさのみ不思議なことでもないのであった。この七、八月ごろから二十五、六の若い男が時どきたずねて来て、なにかの世話をしているらしい。男の身許は判らないが、ともかくも小綺麗な服装をしていて、月に二、三度は欠かさずにこの路地の奥に姿をみせている。そうして、おすま親子に対する彼の態度から推察すると、どうも昔の主従関係であるらしい。おそらく昔の家来すじの者が旧主人のかくれ家をさがし当てて、奇特にもその世話をしているのであろう。親子が今度新しい商売を始めるというのも、この男の助力に因ること勿論である。
 こう考えてみれば、別に不思議がるにも及ばないのであるが、好奇心に富んでいるこの長屋の人たちは、不思議でもないようなこの出来事を無理に不思議な事として、更にいろいろのうわさを立てた。
「いくら昔の家来すじだって、今どきあんなに親切に世話をする者があるか。何かほかに子細があるに相違ない。おまけに、あの人は洋服を着ていることもある。」
 この時代には、洋服もひとつの問題であった。あるお世話焼きがおすま親子にむかって、それとなく探りを入れると、母も…

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